石原慎太郎ビデオメッセージ 「私にとっての夏」
7月から既にですね、暑い日が続いて、みんなヘトヘトかも知れないけど、私はほっとし快哉を叫んでいる。大体、私は夏の男で、そもそも世の中に出たきっかけは題名もね『太陽の季節』という小説でしたから。
やっぱり太陽がギラギラ照らない夏なんてありえないし。去年は本当にみじめなものだったなあ。だから僕は、時間的、空間的に日本も世界も狭くなったんで、贅沢な時代になりましたんでね。去年は本当に夏を追っかけてね、しょうがないから沖縄まで出かけて、海でね、潜ったり泳いだりしましたけども。今年はそういう点で夏らしい夏で、しかしやっぱりこういうその、なんていうのかな夏らしい夏というのは久しぶりな気がしますが。
私、残暑って本当に好きなんですよね。同じことを亡くなった團伊玖磨(だんいくま)さんも『パイプの煙』の中に書いたけれども。残暑が長いといつまでも泳げて非常に得したような気がする。そういう点では、今年は海に行ってみても、午後から吹くね、かなり腰の強い南の風が、生理的にも適しているし、支えてくれるし。
ただ、よしということで、ヨットで新島まで行きましてね。久しぶりに、今年初めてのダイビングをしようかと思ったら、どういうわけか、利島を過ぎてから、西風がものすごく強くて、全然港から船を出せずに、まる二日間、棒にふって、帰ってくる日は皮肉なことに非常に良い日和だったんだけど。まあ季節というものは、気候というものはそういうものでしょう。人間の人智を越えた、人間にとってみると不条理なものかも知れなけれど。
僕は都の職員にも言っているんですよ。せっかくの夏なんだし、まあ彼らにとってはせっかくの秋、冬ということかも知れないが、取れる休みはどんどん取れと。ただねえ、とにかく仕事もなしに机の前に座ってもしょうがないんでね。やっぱり休みを取るだけ取って、自分を開放することが新しい発想につながると思うんだけどなあ。
よく私は物にも海についたり、自分の好きなヨッティングについて書いてきましたけど、フランス語では、お母さんのことをメイルというし、海のこともメイルという。私にとって本当にね、母なる大地というものは、母なる海でしてね。
特に子供の頃過ごした北海道の厳しい気候、海もあるようでない。海水浴に行ってもその期間が一週間しかない。ちょっと深く潜るともう身を切るような冷たい、そういう海でしたけど。
父親の転勤で逗子というね、東京の通勤圏に引っ越してきて、昔、徳富蘆花が『自然と人生』を書いた非常に湘南という美しい、やわらかい、優しい、風土に接し、特にね、海というものの魅力を、もう家から海が五十メートルも離れていないところでしたから、本当に満喫しましたね。
中学時代には弟と一緒にせがんでね、まあサラリーマンの息子にしては、随分、法外な要求だったけども、今でいうA級ディンギーを一隻買ってもらって、二人で乗り回しましたがね。やっぱりローボートで漕ぐ海と、帆の力を借りてね、風の力を借りてね、走る海の味わいというものは、また違ったもので、同時に危険でもあるわけだけど。
それが更に長じてクルーザーのレースに出るようになり、私も日本から初めてね、夢のレースだった太平洋横断レース、ロサンゼルスからハワイまでのレースに三度出ましたが。やっぱり昔の船は今と違って性能も悪かったから、最初のレースなんか十四日間かな、かかったけど。
その間、限られた仲間で、飯作り、酒を飲みながら、ああいう経験というものは本当に忘れられないし。本当に出来たらね、もう一回、今度は日本まで楽なコースを選んでヨットで太平洋渡って戻ってきたいと思ってますなあ。
なんていうのかな、あの開放感、人間の能力を超えた大きな大きな存在のバックグラウンドがあるということは、やはりそれを味わったことのない人間にはわからないねえ。
しかもそのね、海の変化、その激しさ、速さ、シュペルゲールというシュールレアリズムの詩人が「海は僕が眺めていないとその姿を変えてしまう」というけど。
つまりね、トランパックの最終日に見た、前後左右スコールで虹が十も十五も立つみたいなああいう景観。それからモウカイとマウイの間にかかる、なんていうのかな、満月の晩の虹の関門ね。
潮がかぶってそれが虹になって、真夜中でもね、満月の光に照らされて、虹が輝いている。その下をね、船が通って、こう虹を仰ぎながらね、虹の関門を過ぎていく。
そういう海の印象、それから何故かね、貿易風に乗って順調に進んでいるんだけど、どこであったかしらんけども、南の方にあったシケで、大きな波が残っていて、二十分に一回くらいとんでもない波が真横からきて、三角波を作って、ずぶぬれになったりする。
そういうものの痛快さ、面白さ、味わいの深さというものは、やはりシュペルゲールじゃないけどね、私自身が体験し、見たから、ありうる海でね。つまり私以外にとってありえない海なんですね。まあ存在というものはそういうものかも知れないけど。色々なことをやっぱり考えましたね、海で。
今でもやっぱり海というものは見ていて飽きないし、山の好きな人は晴れた日に一日山を眺めていても飽きないだろうけど。やっぱり太平洋レースでね、貿易風に乗って大きな大きなうねりの中、波の中をね、波一つ眺めていても、間近に大きな山脈を見るみたいな感じで。それは本当に味わい尽くせない、なんていうのかな、喜びというか、一種のエクスタシーがある。
まあ日本だってそういうものがありますけど。特に日本の近海というのは非常に厳しい怖い海ですから、味わい云々というよりは、やっぱりいかに海と戦って自分を守るか、勝ち抜くかということが、みょうだいになってくるけど。
まあとにかく海というものは変化だね、変化というものの象徴のような気がする。つまり世の中というのは変化をするから進んでもいく。人間は変化によって老いてもいきやがて死んでいくわけで。つまり生死というものを、生と死というものの、みょうだいというものを強く暗示する、あるいは暗示どころかそれを与えている存在のバックグラウンドとしての海というのは眺めても考えても飽き足りないね。
僕はやっぱりね、一月に一回かなあ。海をね、自分の船で渡ったり、それから小さな船を動かして、あちこち魚を追いかけて潜る夢を見るんですがね。まあ何か僕の中に一種の新しいDNAとして海が埋め込まれているという感じは、その度に夢から覚めてね、何であんな夢を見たのかなあと思いながら、改めて感じ直しますね。
まあみなさんせっかくね、世界で一番険しい、険しいが故にね、恐ろしくもあり、危険でもあるけど、美しい日本の海が周りにあるわけだから。
私は日本は海洋民族だとは思いませんよ。山猿ですよ山猿。というのは太平洋というのはね、日本海もそうだけど、険しすぎてなかなか渡りきれない。だからいつも、まあ専門の漁師や船員は別だけど、いつもこう水平線にね、好奇な目を凝らして、新しいメッセージを待ち受けている。
島崎藤村の有名な椰子の実の歌があるでしょ「遠き島より流れ来る椰子の実一つ」と。あれはやっぱり日本人は拾って割って食べてみたらおいしいジュースがある。びっくりするわけだな。つまりその地平線の彼方から流れ着いてくる。つまり外からのメッセージをいつも待っているね。つまり非常にパッシブなんですよ日本人は。だから外圧に弱い。まあそういう日本人のマイナスのDNAを変えるためにも、やっぱり自分で海に出て、海を体験することが必要だと私は思いますな。