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海と慎太郎

海に関する箴言集

 やがて二人兄弟の私たちには新しい別の絆が育まれていった。それは父にせがんで買ってもらったヨットを通じて耽溺した、海だ。
 まだ昭和の二十年代半ばに、会社の重役とはいえ、ヨットでは一番小さなA級ディンギとはいいながら当時の金で二万五千円もの買い物は、まさしく分にはすぎたものだったと思う。
 私たちの要望を聞いてさすがに父は母に相談したそうだが、母は子供が女ならピアノを買ってやらなければならぬところだろうから、二人の望みをかなえてやったらといったそうな。お陰で私たちは望外な遊び道具を手に入れることになった。
 (中略)
 湘南という地方が、その後の日本の社会全体の変化、あれから新しくやってきた消費時代の選ばれた象徴になっていったという背景からすれば、あの一隻の小さなヨットは大げさではなしに私たち兄弟の人生の形を決めたと思う。
 いってみればあれは、小さなヨットに託して父と母の裁量で行われた私たちの第二の出生、私たち兄弟の進水だった。

『弟』(幻冬舎)より抜粋


 以前ある頃、自分自身のこと、仕事のこと、仲間のことなどなどですっかりいきづまりなにもかも嫌になって、といっても大事な仲間が勝手に自殺なんぞしてしまった後のことだったからこちらは死ぬ気にもなれず、思いあまって見知りの、これはまあかなり信用出来る坊主の寺にいって座禅を組んだことがあった。一緒につき合って坐ってくれた彼が、
「あなたは日頃偉丈夫かと思っていたが、こうして坐りながら後ろから眺めてみたら、実はしょぼいんだねえ」
 といってくれた。そして、
「ま、人生にはいろいろな時があるが、あなたにとっては今もその一つなんでしょう。しかしそんな時は座禅なぞ組んだって駄目ですよ。お経を読んでみたって駄目ですな」
「じゃあいったいどうしたらいいんです」
 いったら、
「まあどこか、自分が無くなってしまうくらい広い所へいってぼんやりしているんですな。あなたはヨットに乗るんでしょう。なら海へおいきなさい、最近はあまりいっていないのじゃないかな。その方がずっと早いですよ」
 いってくれたものだ。
 で、私は卒然として次の週末の約束をすっぽかしクルーを集めて船を出し丸二日海の上にいた。そのせいかどうか気がついたら、陸での気分もなんとか峠を越していたものだった。あの坊主は多分名僧のたぐいなのだろう。
 つまりそれは、おのおのの人間にとっての存在の光背をどこに見つけるかということなのだろう。

『風についての記憶』(集英社)より抜粋


 私は外洋を走るヨットを長いことやっているが、時化をついて走りに走り、ただ目的のマークである島なりブイなりを回って戻るという、命がけの、しかもほとんど無償の行為に自分を駆りながら、仲間のクルーたちとの共同作業で、荒天になればなるほどただ歯を食いしばって耐えに耐え、それを越えることでやっと何かに勝ったというささやかな満足を味わうことで、人生の断面をのぞける思いがするのだ。私たちが、あの海に比べれば木の葉に等しいちっぽけな船の上で荒天下の作業のうちに味わうものは、陸の上の人間関係では見失われがちの、たとえあったとしても言いわけや妥協のまぶされた、真の友情、真の責任感、連帯、信頼、あるいは孤独といったものにほかならない。
 たけだけしい自然との出会いだけが、現代では人間に言いのがれや妥協のきかぬ本物の危機を教えてくれるような気がする。

『バカでスウェルな男たち』(プレジデント社)より抜粋


 私の母は石原光子という、当時としては珍しい画家志望の、たいそう気の強い個性豊かな人でした。私は折節にいろいろな薫陶を彼女から受け、私の感性をはぐくまれました。 そして私のもう一人の母も同じように個性豊かな、気の強い女です。その名は「海」です。フランス語では母も海も、綴りは少し違っても発音は同じメールですからね。人間というのはそれぞれ、その人生にとっての光背を持っていると思いますが、私にとってのそれは、海です。
 このエッセイの題名の通り、私は今でも自分の人生に恋着していますし、それ故にその光背の海に今でも限りない愛着と思慕を欠きません。
 私にとっては海こそが私の情念のすべてをはぐくみ、私の感性を磨き上げてくれたと思っています。

往復随筆 石原慎太郎 瀬戸内寂聴 人生への恋文 第三回 光背 「海という母」
『家庭画報』(世界文化社)より抜粋


 シュペルビエールの詩に、『僕がいないと、海はすぐにその姿を変えてしまう』、というフレーズがあります。
 つまり海を眺める人間の思いはそれぞれ千変万化で、その思いのすべてを海は応えて満たしかなえてくれるのですね。
 逆にいえば海に魅入られる人間の海への渇仰があるが故に、海は母親のような魅力をたたえた海であり得る。あの素晴らしい海をこの私が眺めているが故にこそ、海は永遠の海としてあるのであって、海の素晴らしさをこの私が知り、この私が言葉も忘れて見入っているが故にこそ、海は海なのです。それは海という永遠なるものにとってはごくちっぽけな人間の、しかし「認識」というものを心得た唯一の生き物である人間故の、「存在」に関する逆説的な原理といえるかも知れません。
 ロスを出てホノルルまでの途中の海で、貿易風に乗って過ぎるスコールが周りの海に見渡す限り無数の小さな虹の林を作ってみせる景観の素晴らしさ。
 太平洋横断のレースの最終場、深夜にマウイとモロカイの間の海峡を過ぎる時、流れ込む海流が島と島の間にたちこめさせた濃い靄の上に満月がかかり、その光が夜の空にかけていた巨きな虹の神秘さ、そしてその下をくぐって行く時、誰も声もなくその虹の橋を仰いで眺めた感動の懐かしさ。
 しかしその間中、一寸間違えばマストを折り舟を引き裂いてしまうかも知れぬ危険な追っ手用のスピンネーカーという帆をぎりぎりの限界まで上げて張り通して走りつづけたものでした。
 あれこそが青春だった。あれこそが人生だった。あれこそが生きるということだった―。
 この今になればなるほど昔読んだマラルメの詩を思い出しています。
『我立ちて、礼を捧げん。
 寂寥、暗礁、星の影、我が舟の帆の真白なる、
 悩みを与えし、すべてのものに―』

往復随筆 石原慎太郎 瀬戸内寂聴 人生への恋文 第三回 光背 「海という母」
『家庭画報』(世界文化社)より抜粋


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