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「議員勤続25年を祝した永年勤続表彰で辞職を表明」
1995年(平成7年)は波乱の幕開けを遂げた。年明け早々に阪神・淡路大震災が襲い、街は壊滅状態となり、多くの死傷者を出した。そして復興への第一歩を踏み出し始めていた頃、東京でオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった。連日ショッキングな映像が流され、日本中が災害とテロリズムの恐怖に震撼していた。それは「安全な社会」というこれまでの社会通念の瓦解の序章であり、「いつ、なにがあるかわからない社会」へのパラダイムシフトを予感させるものであった。
同年4月、議員勤続25年を祝した永年勤続表彰という通常であれば政治家にとっての晴れ舞台で石原は辞職を表明した。辞職の弁で石原は、日本のことを「国家としての明確な意思表示さえできない、さながら去勢された宦官のようである」と断じた。
そして「現在の政治に対する国民の軽蔑と不信はまさに自分自身の罪科である」と、沈没の様相を呈し始めている国家という巨大な船に対して、何の手の施しようもない自らの非力さを詫びたのだった。
「孤独な決断 再び政治の舞台へ」
それから4年の歳月が流れた。都民の圧倒的支持を受けて当選した前任の青島幸男東京都知事は公約であった都市博の中止を手がけたまではいいものの、その後は都庁の役人達に実質的な指導権を奪われ、さしたる結果を残すことができなかった。そして現職が明らかに有利となる2期目に際して、不出馬の意向を示した。
青島の唐突な不出馬表明は、その後、方々で雨後の筍のような有力候補の林立を促すこととなった。青島の会見以前には教育評論家の三上満(共産推薦)が既に出馬表明していたが、元民主党副代表の鳩山邦夫(民主推薦)、国際政治学者の舛添要一、元外務大臣の柿沢弘治、元国連事務 次官の明石康(自民推薦)らが新たに名乗りをあげた。
候補者選びは自民、民主ともに混迷を極めた末のものだった。
そんな中、石原の登場が方々で噂されていた。しかしながらその真偽は誰にもわからなかった。そして様々な憶測が飛び交う中、告示まで半月と差し迫った頃になってやっと石原は立候補を表明した。その背景には、自らの人生の帰結について、換言すれば自らの「死に方」に対する深長な熟慮があったのではなかろうか。
それは石原文学の根幹を成すテーマが「生と死」である、ということを引き合いに出さずとも、正式発表を伝えた新聞の見出しに踊った「都政か作家かと、最後まで迷った」という一文からも推察することができる。石原はこのとき既に66歳だったのである。
「石原の視線は国にあった−東京から日本を変える−」
当時の社会情勢は、企業リストラや失業率の急増、山一證券・北海道拓殖銀行の倒産など未曾有の金融経済危機による構造不況が露呈し始め、4年前の国会議員辞職表明のときよりも混乱を極めていた。バブル経済崩壊以後、その必要性が叫ばれつつも不良債権処理や構造改革は遅々として進まず、今では「失われた10年」と呼ばれている負の遺産を解決できぬ国政に対して国民の不信は頂点に達しようとしていた。
旧来のシステムではもうやっていくことができない。変革の必要性に国民も気付き始めていた。そのような先の見えない不安が蔓延した情況下で、石原は再び政治の舞台に登る決心をしたのである。他候補と石原の主張の違いは様々であったが、その最たるは、どこを見据えて政治を行うかという視線の位置であった。石原の視線は国にあった。
それは自身が掲げた「東京から日本を変える」というスローガンと数々の公約を一瞥すればわかることだ。石原は公約として米軍横田基地返還、道徳教育、排ガス規制、債券市場の創設などを掲げた。これらは全て国政レベルの政策である。
「明治維新以来続く中央集権体制を打破し、真の地方自治を」
石原は記者会見で「都民や国民を代表して、一種の革命をやろうと思っています」と切り出した。革命とはすなわち「破壊」と「創造」のことである。石原の革命によって破壊されるべき対象は、明治維新以来、敗戦によっても変わることのなかった中央集権と官僚支配の統治システムである。このような政治形態は地方の自立を阻害し、社会全体のダイナミズムを奪うものだ。
アメリカはレーガン時代に、疲弊しきった中央政府が思い切って地方を切り離し、多くの権限を委譲した。その結果、国も地方も共に蘇り、今日の隆盛に繋がっている。石原の革命はこれまでの統治システムを破壊し、長い間その実現が希求されながらも誰も成しうることのできなかった、真の地方自治を創造することにある。
すなわち、それが首都東京、ひいては日本の再生を意味しているものだからである。そしてその石原の革命の根幹を成すものは「自立」の哲学である。それは国や自治体だけではなく、個人としても、自らのことは自らが決定し、その責任は自らがとるという、人類、文明の普遍的な原理原則のことである。
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「166万票を獲得、圧倒的勝利」
選挙の結果、石原はほぼ全ての選挙区で他候補を上回る票を獲得し、次点に80万票以上の大差をつけての圧倒的勝利で当選を果たした。
23歳で芥川賞を受賞し、作家として鮮烈なデビューを果たして以来、時代という恋人と共に走り続けてきた石原である。その石原が混迷する時代に必要とされ、東京、そして日本の舵取りをすべく、再び政治の世界に登場したのだ。
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1999年4月23日 石原都知事初登庁
画像提供:東京都
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現在、第2期目を務め、「東京から国を変える」という自らが掲げたスローガンに真摯に取り組んでいる石原がいる。そしてそれを「見えない変化」ではなく、「見える変化」にするために奮闘しているのである。
その背景には、国会議員時代に「体内に国家を感じる」ことはできても、それを愛する国家のために生かすことのできなかった罪科の意識がいまだにあるのではなかろうか。石原の果敢な挑戦は、自らと国民、そして国に対してそのときの借りを返すためになされているように思えてならない。
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1999年4月23日
石原都知事職員に就任挨拶
画像提供:東京都
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