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石原慎太郎エッセイ「日本よ」

2003年1月6日発売の産経新聞より転載 
産経新聞社HP http://www.sankei.co.jp/
「取り戻すべきもの」

 昨年私たちは二つの出来事によって敗戦以来の得難い体験をすることが出来た。それは自らが属する国家、民族への覚醒である。それをもたらしたものは、一つは世界中が熱狂したサッカーのワールドカップの日本での開催。そしてさらに、北朝鮮という邪悪でグロテスクな隣国による百人にも及ぼうという同胞の拉致と殺戮の露呈である。

 野球などという冗漫でいろいろ道具も要る、それ故に限られた僅かな国でしか行われていない競技と違って、荒野や砂浜でただ球を蹴って飛ばすだけでもすむ、足の使用という人間のおざなりにされていた本能を覚醒させ興奮を与えるサッカーは、眺める側も目が離せず緊張と興奮を強いられる。

 あの国際試合の中で我々が味わわされたものは、日頃我々が意識無意識に抱えていた国家と民族に対するものの激しい噴出によるエクスタシーといえるだろう。そしてあの得もいえぬ高ぶりの快感を、誰もどう否定も出来はしまい。

 国家(ネーション)なる言葉の語源は古代イタリア語のナチオで、ナチオとは、かつてローマ帝国繁栄の中で広大なローマの領土のあちこちから選ばれてボローニャ大学に学んでいた地方出の学生たちが、仲間だけで集まる時には、共通のラテン語を外してそれぞれの故郷の言葉で語り合い、それによって初めて蘇生する自らの民族の伝統風習を確認しあったいわば県人会ともいえる組織の呼称だった。いかに強大なローマ帝国といえども、その強い統治の元ででも各々の民族の個性を淘汰均一化はできはしなかったに違いない。

 北朝鮮による拉致事件の露呈も、多くの同胞が彼等の手によって晒された無慈悲な運命の痛ましさへの、同情を超えた強い共感として私たちに、ワールドカップが与えたと等質のものを覚醒させてくれた。それは、ある物事が、他人ごとながらもはや決して他人ごとでは済まされぬという認識、というよりも共感である。その根底にあるものは、自らが属する国家と民族にあの人たちも属しているのだという、もはや図式としてではなしにそれを超えた、いうにいえぬ強い連帯感である。それを培っていたものはナチオの由縁が証すように、我々が長い間共有してきた文化が醸し出し与えてくれた共通の情念に他ならない。

 北朝鮮によって悲運に晒され、かろうじて取り戻された同胞のその後の様子を眺めて私が強く感じたことは、彼等が彼の地で受けた激しい洗脳の迷妄から速くも目覚め人間としての当然の判断を取り戻せたのは、これを遅まきながら扱いだした政府の誰のおかげなどではなく、あくまで彼等を温かく迎えた故郷の人々、なかんずく家族のおかげに他ならない。

 特に私は、帰国した五人の家族のスポークスマンのような地位にある蓮池さん夫婦の兄、蓮池透さんの存在に強い印象を受けている。帰国した彼等の残してきた子供たちがどうなるのかを芯に据えた彼等の今後の命運を決めるキーマンは、きわめて冷静妥当な言動で総理やそれを操ろうとしていた外務省を逆にリードしてきた安部晋三官房副長官や中山参与などではなしに蓮池透さん以外にありはしまい。

 帰国者の五人は年の暮れ近く、それまで襟にとめていた金日成バッジを外すようになった。それは彼等が拉致の末一方的に強いられてきた政治的価値観の放棄を意味し ようが、彼等にとってそれがどのように重く危うい決心であることを私たちはとても斟酌しきれまい。それは五人の同胞にとってまさに人生を懸けた選択に違いない。五人は彼の地に残してきた子供や夫の安否を狂おしく案じながらも、彼等の人生を狂わせこんな無慈悲な選択を強いたものを、自由な人間の意思としてはっきり拒否したのだ。

 そしてそのためにあの蓮池兄弟の間にどのような会話がある時は激しく、ある時は涙ながらに持たれたのか想像に難くない。それは我々余人の立ち入ることの出来ぬ、 それぞれの人生を懸けた、分身の子供たちの命をも賭けた、彼等に対する今までの母国の無為に近い態度からすれば、もどかしく危うく重く濃い疑念にも駆られながらの選択であったに違いない。

 そしてあの五人にその胸からあのおぞましいバッジを外さしめたものは、血の濃く 繋がった肉親としての親兄弟たちの、自らの属する国家を信じなおそうという説得だったに違いない。肉親以外の誰が彼等を、国家の沽券に運命を託す決心に導くことが出来たろうか。そして、家族を代表した形で被害者たちの心境を代弁する兄蓮池透さんの言葉の裏に、今このぎりぎりの段になって、国家を信じなおし、過酷な悲運を強いられた被害者たちの運命に共に怒り悲しんでいる私たち同胞の声を信じていく以外にないではないかという、期待などという言葉では表しきれぬ、ひたすらな願いがこめられているのを感じぬ者はいまい。

 日本という国家、日本人という民族を代表する政府はその願いをかなえるべく十全の努力を果たさなくてはならぬ。何よりもまず、彼の地に残されている子供たちを完全完璧に取り戻す術を尽くさなくては。そしてそのために、我々国民の全てはいかなる声を揃え政府をして国家の名誉のためにも、その責任の履行を実現させるべきかを 今年の最大の命題として据えてかからなくてはならぬ。それに応えられぬ政府ならば、 一体国民にこれから先何を求められるというのだろうか。

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