 |
「地方分権、民営化の落とし穴」 |
七年前の小渕内閣当時「地方分権一括法」なるものが可決された。徳川幕府崩壊後太政官制度の元に行われた廃藩置県以来、外様内質ともに全く変わらずにきた日本の政治の骨組みを変える歴史的な取り組みというふれこみだったが、ただし「税財源の分与は中、長期の目的」という付記がついている。これは語るに落ちた話で、国会の審議での中期といえばまず早くて五年、長期となれば憲法改正の事例を見ても半世紀かかってもおぼつかないものが多々ある。
しかし小泉内閣となって三位一体とか骨太の改革とか、訳のわかるようでわからぬ掛け声の元に何やらの試みが行われつつあるが、その間に実は仕事の方だけは出来るだけ地方に押しつけてしまおうということで、従来国が地方自治体を使役して機関委任事務として行ってきた多くの仕事を自治事務として、自治体の責任において行えということになった。
それぞれかなりの専門性を要する仕事で、従来の専門性の御墨付きは国家が行ってきた。その一つが今回世間を騒がせているマンション等の耐震性に関する確認検査で、自治体にもその種の専門家はいないでもないが繁雑高度な仕事は国が資格認定した建築士、つまり民間にまかせよということ、そしてその確認検査機関の判断の是非を最終的に自治体が行うという仕組みなのだ。
通例民間機関が行う審査の内容は書類にして優に五センチはある分厚いものだが、役所に提出される書類は大方一枚の紙に要約されている。勿論(もちろん)自治体によってはその種の専門家を抱えている所もあるが、基本的には国が資格を認めた民間の専門家を信じよということで来た訳だ。
これは要するに人間性善説にのっとったしきたりということで、よもや国が認定資格づけした専門家に己の利益追求のために審査の書類で嘘をついたりする者などいるはずはないという前提に立っている。しかるに今回国家の権威によって「資格づけられた、性悪な専門家」が存在するということが明らかになった。
かかる事態が露呈し多くの被害者が生じたという事態のそもそもの責任がどこにあるかということになれば、誰がどう考えても、専門性をかざして己の利益のために悪いことをした専門家を存続させてきた国家の管理責任に帰着することは自明だろう。
大切なことはこうした過渡的状況の中で生じる国民の被害の救済の責任を最終的に誰がどう取るかということだが、現行の法体系にはそれが欠けている。今回の事態の中で政府は既存の「地域住宅交付金」制度にのっとって地方自治体にも被害者の損害への弁償に五五%という過半の肩入れをさせようとしているが、これは姑息(こそく)というか場渡りの手立てでしかなく、それに代えて建築基準法を改正してという案にしてもその場しのぎのものでしかない。本来はこうした性善説を覆す風潮を作り出した政治の基本的責任にのっとって特別措置法を作って対処すべきだろうが、時間がかかりすぎて現況に対処しきれない。なにしろ地震はいつ来るか分からず、居住者の人命が天秤(てんびん)にかかっているから関係自治体としても当面の措置として政府に協力せざるを得ない。
しかし実は、ことはこうした建築物の耐震性の問題だけではなしに政府が地方に自治事務として押しつけた事務の中には事によっては現況では自治体の能力の及ばぬ、もっと直裁な危機に繋(つな)がりかねぬ案件がいくつもあるのに、その際の責任の所在が曖昧(あいまい)で明記されていない。
例えば建築に関わる事例に限っても、大型ホテルやマンションの屋上に設置されている大型貯水槽から水を引いて供給する簡易水道事業や東京タワーのような超高層の特種建築物の点検、デパート、ホテル、病院等の換気、給水設備、エスカレーターの検査もすべて国家が認定資格づけした専門家に委ねられていて、ここでも果たして人間性善説が通用するのかどうかという懸念を改めて抱かざるを得ない。
いつか国会で別の視点から社会党議員が問題にしたことがあったが、ホテルやマンションの屋上にある貯水槽がはたして地下から水道管で引く水と同じように清潔なのかどうか。杜撰(ずさん)な管理下である水槽には鳥や鼠が死んでいたり、ある事例では水槽への投身自殺者さえあったそうな。
最悪のケース、テロリストがこれに眼をつけたり、その種の専門家がテロに利用されたりしたら水道の利用者の中から多くの犠牲者が発生する可能性もある。
故にも政府は今回の耐震性偽装のケースで、ある日地震がきて居住者から現実に犠牲者が出てしまったという事態を想定してこうした法の不整備と専門家への管理の杜撰さについて深刻に反省し、地方に自治事務として分与した業務における責任の明確化を含めた特別措置法を一刻も早く作るべきなのだ。その程度の想像力と責任感が国の政治家やそれを支える官僚たちに枯渇してしまったとは未だ思えないし、思いたくもない。
性善説を覆すさまざまな「不測の事態」が実は優に有り得る社会を、我々は知らぬ間に作ってしまったのだという本質的な反省と自戒を持たずしてこうした問題への確かな対処など有り得まい。

|