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「いかにして、心意気を取り戻すか」 |
昨年末ある総合雑誌が当節失われてしまった日本語についての特集アンケイトを行っていた。私が問われたなら「心意気」あるいは「こころざし」と答えたろう。
去年この国に起こったさまざまな出来事を眺め直すと、景気は回復してきたかもしれぬが、あい反して我々はもっと大切なものを失いつつあるような気がしてならない。どうもこの国はタガがゆるんできたといおうか、国そのものがぬるぬるどろどろと溶けていこうとしているような気がする。
社会がタイトな社会として存続していくために不可欠な信頼とか責任といった人と人との関わりが風化してしまって、よろずの社会機能の信頼性が摩滅しつつある。そうした社会現象の中でうかがえることは、かえって大方の日本人が持ちそなえていた「心意気」とか「こころざし」といった、自己抑制に発した献身とか自己犠牲という暗黙の責任履行と、それへの信頼の喪失である。
代わりに普遍跋扈(ばっこ)しつつあるものは保身につながる「その場主義」で、それは問題の本質的な解決には決して繋がらず矛盾と傷を深くするばかりだ。その最たる事例が官僚の財政運用とそれを反映した予算編成だろう。目先の数字合わせのために本質を無視しての予算措置は目に余るものがある。この国の政治スキームを変えるための地方分権の三位一体の掛け声の下に、いきなりひ弱な文科省を的にして義務教育の国庫負担を撤廃するとか、果てはこのIT時代に、税収のいい首都東京からむしりとるために法人事業税の分割基準を本社業務がIT化されたために労務の負担が軽減されたという、文明工学を無視した理由にならぬ理由で一方的に再度引き下げるといったやり口は、もはや間違いというより噴飯でしかない。
膨大な国債を抱えての国の財政運営も、小手先の改革は行っても肝心の毎年々々かさんでいく国民への借金の国債対応という国家の大計は、官僚の本音は「塩漬け」。その本意は借り換え借り換えを重ねて行き、その内インフレになれば結構ということだ。
こうした国家的兆候は実は社会全体にこらえ性が無くなってきた証しともいえそうだ。動物行動学者のコンラッド・ローレンツは幼児期に忍耐を強いられたことのない子供は成長して不幸な人間になるといっているが、立派な国家だったはずの日本の内的な荒廃衰退は、平和ぼけのもたらした安穏追求主義の所産といえるだろう。
いかに複雑化かつ合理化された社会でも、それを緊密に保持していくためには個々人の間の責任と信頼が不可欠なはずだ。それが希薄になっていけば保身という個人主義が表出してきて社会のタガが外れてしまう。自らを抑えて他者を思うという基本的なストイシズムの獲得再生を志さぬ限り、表面はいかに華美で大きくとも、そんな社会は必ず崩壊してしまう。
幼稚な大人とは何が肝心かがわからず、肝心なことについて考えぬ者だ、というのは福田和也氏の名言だがこの日本は段々幼稚な国家になりつつある。自己中心、個人主義というのは行うに一番簡単だが、それで支え切れるものは所詮己一人でしかあるまい。
年末あるテレビの特集で隣国韓国の企業サムスンがなんで急速に半導体分野で伸びてきたかの分析をしていたが、その決定的要因が、端的に、その分野でかつて世界をリードしていた東芝の挫折によって、先端技術を担当していた技術者の多くが数倍の報酬に魅かれて流出してしまったと知り暗然とさせられた。
世界が時間的空間的に狭小なものになり、国際化という言葉自体が陳腐にもなりつつある現代で、東芝の経営者たちの見識の問題もあろうし、こうした事例に関していたずらに愛国心を持ち出すつもりも無いが、しかしなお無念といえば無念である。
内の一人は外国からの勧誘に心動きはしたがある先輩に相談し、「もし君がそれを選んだなら友人を失うことだけは確かだ」といわれて思いとどまり大学での学究の道を選んだとあったが、それもいわば一人の国民、一人の選ばれた者としての「心意気」の問題に違いない。
もっとも今日の日本の社会はそうした自己抑制、自己犠牲にどう報いてくれるものでもありはしない。自分一人が馬鹿を見るよりもという選択を促す風土が刻一刻造成されつつあるこの国の現状を克服するために、我々はいま何をこそしなくてはということ、そのために自らに何をこそ強いるべきかを、そろそろ本気で考えてかからぬとこの国は他からの収奪に無為のうちに晒(さら)されるまま、名は備えながらも真の国籍を持たぬ者に成り果ててしまうのではなかろうか。
保身のための場当たり主義は当面のしのぎにはなっても、結局さらに大きなものを失うものでしかない。本当にことを凌(しの)ぎ、本当の再生のために必要なことは自己を抑制し、急場に耐えるというストイシズムの獲得に他なるまい。
我々がかつて先祖の持ち合わせていた武士たちのような心意気を持ち直すことができるなら、この国は必ずや国家としての存在感を取り戻すことができるに違いない。

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