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「新しい危機構造の到来」 |
アメリカの統合参謀本部の発表によると、中国はごく最近保有している94式原子力潜水艦からのJL2長距離ミサイルの打ち上げに成功したそうな。およそ六千マイル離れた中国奥地ロプノール砂漠のターゲットにわずかの誤差で着弾したという。アメリカは海上における中国の対台湾軍事行動を宇宙衛星によって観察中この事実を捉え確認した。この情報が正確なものであるとするならこれは極めてゆゆしき事態で、今後世界の、特にアジアの政治情勢は中国に大きく振り回されることになりかねない。
この情報を踏まえてか、エーデルマン国防総省次官は中国の過剰な軍事力拡大の意図がどこにあるのか常識的に捉え切れないとコメントしていたが、この事実が暗示するものは、まさしく東アジアにおける新しい危機構造の到来といえるだろう。ミサイルを発射する潜水艦の位置次第ではアメリカの心臓部も射程に入ろうが、現在彼等が潜水艦に搭載して保有する長距離ミサイルの数からしても、アメリカといきなり正面切っての核戦争は有り得まい。
もっとも、晩年頭がいささか狂って自らの権力を守るため文化大革命などという暴挙を行った毛沢東がソヴィエトからICBMを買いこんでいるのを見て、訪中したフランスの元大統領ポンピドーが、「あなたはアメリカとの全面戦争を本気で考えているのか」と質したら毛が、「場合によったらやるかも知れない」と答え、ポンピドーが、「そんなことをしたら膨大な数の国民が死ぬことになるぞ」といったら、「この国は人間の数が多すぎるので、二、三千万の人間が死んでも一向にかまわない」という答えが返って唖然としたという挿話がポンピドーの日記に記されている。その種の狂気が今でも中国の軍部に受け継がれているということなのかどうか。
いずれにせよ世界の歴史の中で自らの国民を一番数多く平気で殺してきたのは中国人で、毛沢東は文革で二千万余の人を殺し、チベット併合のためにも二百万のチベット人を殺してはばからなかった。かつては蒋介石も南京で足手まといの市民を万単位で殺戮し、今ではそれも、毛の文革の犠牲者もともに戦争中日本人がやったことに仕立てられてしまっている。
いずれにせよ「狂人に刃物」の長距離ミサイルを彼等が実際に使うとすればまず、目の敵の日米安保体制を切り崩すために日本に在るアメリカの戦略基地をということだろうか。それにしてもその見返りに自らが何を被るかということを、どう計算ずくでのことなのだろうか。
しかし何であろうとこの事実はアメリカの立場を極めて厄介なものにしてしまったといえよう。
最近の中国のいくつかの出来事を繋いで憶測するに、あの国はかなり深刻なジレンマ、トリレンマに陥っているといえそうだ。その一つは先に行われた台湾侵攻を想定した中露による合同大演習の現場に国家主席の胡錦濤が異例にも立ち会わずにいたこと。彼が軍から呼ばれなかったという推測もあるが、とすれば政治の主体者である共産党政府と国軍の間に微妙な軋轢が生じつつあるということか。
二つは中国という国家の本質的な脆弱性である。広大な国土の割に埋蔵されている天然資源は著しく乏しい。環境の悪化で水資源までが枯渇し、地図の上での大河である黄河はすでに干上がってほとんど水が流れていないという。さらに広大な国土ながら、人間の住むに値する、緑や水といった環境条件を備えた土地は日本の国土の全面積のおよそ倍ほどしかない。
第三に歪んだ経済拡張のせいで極端な貧富の格差が生じ、その不満が覆いがたく蔓延し始めている。それは共産政権につきものの汚職の跋扈と相俟って、民衆の不満を増殖させ政権を突き上げるマグマとなって胎動している。
独裁政権たる中国共産党政府が自らの保身のために、国内の不安定要因である国民の不満を外に向けてそらすために画策した反日キャンペーンは決して決定的な救済策とはなり得ず、そうした本質的不安定さの中で、軍もまた保身のために政治を無視して自らの肥大化を図るのは世界の歴史にみられる崩壊の原理に他ならない。
この日本の近代史を眺めなおしてもいえることだが、政治のコントロールを離れた軍の危うさは、容易に緊張のための緊張を助長し戦のための戦を敢えて行うということになっていきかねない。
そして一方、アメリカは相対的には超大国として在りはしても、イラクにおける現況を眺めてもその力の限界をさまざまに露呈しつつある。
非情な原理として、本来戦争というものは人命の消耗合戦に他ならない。ベトナム戦争に懲りて以来、イラク一つ見てもアメリカは兵士の人命喪失にますます神経質にならざるを得ない。アメリカ軍の中で第四軍たる海兵隊を除けば陸軍が一番劣悪な所以もそこにある。故にもイラクにおける宗教的狂信による自爆テロとの戦いでアメリカが勝てる訳はない。そして中国には朝鮮戦争で丸腰の兵隊を駆り立てて押し寄せたような軍事的伝統がある。これは毛沢東の言葉を引用しなくとも、核戦争においても当てはまりそうだ。
こうした本質的状況の中で、我々はごく身近な、というよりまさに我がこととして新しい危機の構造にまみえつつあるのだ。その認識の上に今後我々は危機に備えて何をするべきなのだろうか。

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