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石原慎太郎エッセイ「日本よ」

2005年7月4日発売の産経新聞より転載 
産経新聞社HP http://www.sankei.co.jp/
「国家存亡の分岐点」

 昨年高齢で物故した家内の伯父の遺品の中から、中支戦線で戦死した家内の父石田中尉から妻宛の手紙が見つかった。結婚間もなく長男が誕生し、つづいて次の子供を懐妊中の妻を残し三十過ぎての出征、甲府の連隊に参加後、中支の激戦地名だたるウースン・クリークでの戦闘で心臓への貫通銃創での壮烈な戦死をとげた。

  それまでの一年余の間、愛妻と生まれたばかりの男の子、そしてまだ見ぬ次の子供への切々とした思いを綴った百数十通の愛の形見を、これも五十前でみまかった家内の母親は死に際を看取っていた兄に自分と一緒に焼いてくれるように託したが、伯父は何を思ってかそうせずに止め置いていてくれた。中の一通には、妊娠中の妻に一目会いたくて、当時彼女のいた広島から甲府までの汽車の乗り継ぎ時間をこまごま自分で調べての案内もあった。

 最後の手紙は、前々日小隊長が戦死し先任士官として自分が指揮を取ることになったが、明日も予想される激戦でおそらく自分も戦死するだろうと記した遺書だった。そして彼は私の家内となった娘の顔を見ることなくこの世を去った。

 石田中尉の墓は横須賀の一族の菩提寺にあるが、あの戦争という国家の出来事を背景に亡き父親を想おうとする時、家内たち兄妹は靖国神社に参っている。戦没者の遺族のほとんどは同じ思いに違いない。

 今年ようやく、特攻の母といわれた亡き鳥浜トメさんからの私自身の聞き語りを元にしたシナリオの特攻隊賛歌の映画化に入るが、二十前後で散っていった若い桜たちの合言葉は「靖国で会おう」、遺族には「靖国に来てくれ」だった。

 これは戦争という出来事を背景にしたセンチメントなどでは決してない。国家の存亡の前に、もっと端的に自らの家族を守るため、その存続と繁栄のためにこそ敢えて死んでいった者たちの、時代や立場を超えて垂直に貫かれていくべき信条の唯一の証しとして「靖国」は在るのだ。それをいかなる他人も、いかなる外国も否定出来るものでありはしない。「靖国」は国家民族という枠をかまえて自らの生き方を思う者たちにとって垂直の価値、それを必要とする者にとってはいわば本質的価値の表象であって、歴史への解釈云々といった次元の価値観で左右され得るものでありはしない。かつての時代、どの国もどの民族もみんな死に物狂いに、生き残るために戦ったのだ。敗者勝者のいい分それぞれあろうが、それが嫌な者、見解を異にする者はただ靖国に行かなければいいのだし、他人事としてただ黙っていればいい。

 家内が戦争未亡人の母親から受け継いで着ていた喪服のたもとには、彼女が戦後初めて靖国に参った時に乗った電車の切符が縫い込まれていたそうな。「靖国」は彼女の人生を支える芯(しん)の芯なるもの、心意気の象徴としてあったに違いない。それを一体誰が、何が無下に否定出来るというのだろうか。

 かつて大戦を予測したローズベルトがベネディクトに依頼して出来上がった日本人論「菊と刀」に描かれている、高貴な日本人像の神髄とは、自己犠牲を厭(いと)わぬストイシズムと勇気だった。それは今日台頭しつつある隣の中国の民族的特質、その成就のためには手段を選ばぬ拝金主義とは極めて対蹠(たいしょ)的なものだ。彼等は日本からの経済収奪のためには手を選ばず、彼等が勝手に作り上げた歴史観、戦に勝ちもせぬ自らを勝者として祭り上げ、正当性の無い国際裁判を合法とした理屈で我々を揺すぶり、ふんだくれるだけのものをふんだくろうとしている。

 この国の中にもそれに応え、経済利益を唯一の国益と称し相手のいい分に屈せよと唱える者がいるが、それは所詮(しょせん)姑息な手立てでしかありはせず、その結果我々は最も大切な、国家の芯の芯に在る、掛け替えなきものまでを売ろうとしているのだ。それは我々が永遠に受け継がなくてはならぬ国家としての、民族としての心意気に他ならない。そしてそれを敢えて失うことで我々が中国以外のすべての他者から勝ち得るものはただ軽蔑でしかあるまい。それにどう考えても、もし総理が靖国参拝を中止したとして、中国がそれを大いに感謝評価し、にわかに友好に転じる訳もない。さらに我々の心の内にまで手をつっこんでの露骨な干渉となるのは自明のことだ。

 常識のレンズをかざして眺めれば、現今の関わりの中で中国の方が日本を失えないのは自明である。よしんば我々が市場としての中国を失ったとしても、日本の技術を含めた経済力をもってすれば他の代案はインドやシベリア等々優に有り得よう。中国を切り捨てることでしばしの経済停滞があったとしても、この豊かさの氾濫(はんらん)の中でそれを甘受出来ぬというなら、我々は実はすべての価値を失うことにもなりかねまい。

 国家はその芯の芯にある価値を阻害された時、取り返しがつかずに腐れ果て、蘇(よみがえ)ることはありはしまい。それは歴史の工学が多くの事例で証しているところだ。

 そして「靖国」が今後の日本にとってどのような意味を持つかを大きく決めるだろう瞬間は、今年のこの事態の中で、小泉総理の靖国参拝にかかっているといっても過言ではあるまい。

 歴史の分岐点というのは過去にも多々あったが、いずれにせよ、その時点で国民がいかなる価値観にのっとってそれにいかに対処したかにかかっている。

 我々は今性根を据えなおし、いかなる掛け替えにおいても守るべきものを自らのために、そして国家民族の将来のために守る決心をすべきに違いない。

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