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石原慎太郎エッセイ「日本よ」

2005年5月2日発売の産経新聞より転載 
産経新聞社HP http://www.sankei.co.jp/
花粉症に関する国家の怠慢

 先々月の二十一日首都三環状高速道路の最外側線、圏央道のあきる野市のインター
チェンジの完成式に出席した。
  ようやく春めいて風もなく穏やかな日和だったが、飛んでいくヘリコプターから眺めると現地の辺りに一面うっすらと霞のごときものがたなびいて見える。

 「あれは、もうそろそろ春霞かなあ」

 といった私に現地担当の局長が、

 「いやあ、霞というより、花粉ではないでしょうかね」

 「なるほど、あれが世にいう花粉症の元凶か」

 眺めなおすと辺りの山裾一面、やや褐色を帯びた、霧や霞とは違う色合いの気体の帯がたなびいている。

 「今日は風がないから、あれが都心にまで届くには時間がかかるでしょう」

 いわれながら、やがて花粉の原産地近くに舞い降りた。

 つまり我々は来る道すがら見た花粉の帯の下で行事を行った訳だが、帰宅して間もなく鼻や目という局部ではなしに体全体に何ともいえぬ違和感を覚えた。それがはっきり形をとって現れ出したのは翌日のことだが、かくして私もようやく流行に追いつき、生まれて初めて花粉症の被害者とあいなった。私だけではなしに同道していた屈強のSPまでが同じ症状となった。

 私の長男はかねがね花粉症に悩んでいたが、閣僚の時悩みに耐え兼ねて薬を飲んだら効き過ぎて、予算委員会の席で眠りだし注意を受けたそうだ。そう聞いてもあまり同情せずにいたが、自分でなってみるとどうにも苦しくなんとも厄介だ。思考力は低下し、やる気が落ちる。これは宿痾(しゅくあ)だった腰痛に似ていて、当人はいかにもつらいが傍目(はため)にはそうとは映らない。故にもあまり同情もかわない。私も自分がなるまで、なんだたかが花粉を吸ってのアレルギーだろうがと思っていたが、医者にも誰にもいつ治るのかめどが立たないため風邪より始末が悪い。

 昔は無かった現象だから、今日のモータリゼイションの招いた排気ガスとの混合感染くらいに思って、主にもっと深刻で危険な病、肺癌やアトピー、他のアレルギー症状退治のつもりでディーゼル・エンジンの排気ガス規制をやってきたが、そっちの方は効果も出たが、どうも今年は異常に多いという花粉の威力にはかなわないようだ。

 ちなみに花粉症の患者の総数は全国でおおよそ二千万人、六人に一人。首都圏では人口の二十六%、四人に一人の一千万人。東京に限っても五人に一人の二百二十五万人というべらぼうな数に上っている。この中に国会議員や国家官僚といった立法、行政権限のある偉い人たちは入っていないのだろうか。

 花粉症の最大の元凶である杉の木は、あきらかに予測を欠いた、というより予測を怠った国家の林業に関する失政の所産でしかない。生育の早い杉は戦後住宅の増設のために集中して植林された。その促進のために作られた「昔々その昔、椎の木林のすぐそばに、小さなお山があったとさー」という童謡を私も覚えているが、その後世界の流通が変わり国産よりも安い外材が優先され、国内の杉の森は放置され続けた。その結果森は荒れ、いたずらに樹齢の延びた杉は自己防衛のために過剰な花粉を放出するようになった。

 そんなことは花粉被害者の誰もが知っていることだが、これだけ膨大な数の国民が苦しみぬいているのに、政府はなぜこの問題に積極的に対応してこなかったのか理解に苦しむ。これはあくまで自分がこの難病にとりつかれてのことだが。

 よく、新しい公共事業の展開前に、これが実現するとどれほどの経済効果があるという分析予測が発表される。渋滞解消のためのバイパスやハイウェイ、橋の建設、あるいは空港の滑走路増設は、確かに通行時間の短縮のもたらす燃料等の経費の節減をもたらすし、環境問題の好転にも繋(つな)がるし、他の要因による経済効果を確実にもたらす。

 ならばなぜ今までこれほど広大な範囲で、膨大な健康被害をもたらしている花粉症に関しての、その防止による経済効果が計測されてこなかったのか。

 治療の受け手の医師会は、治療の売り上げなんぞよりも、その問題の放置が社会にもたらす深刻な影響に警告を発してもいる。

 荒れた森に手を加え健全化するのにどれほどの経費がかかるのかという予測すら聞いたことがない。林野庁のホームページを見ると、国土の保全、水源の涵養(かんよう)、温暖化の防止のためには一度に伐採とはいかず、徐々に他の品種の木と植え替えていくしかないとあるが、これも体裁のいい言い訳というか、役所はもうお手上げだという本音の域を出ずに、悩める者たちへの何の救済にも期待にも繋がらない。

 これがわが国独特のいわば風土病ともいうべきものであり、その原因は林野行政の失敗でしかない。とにかく六分の一の国民が、年間の四分の一の長期にわたって苦しみ、仕事の能率を欠き、とどのつまり膨大なマイナス経済効果を蒙(こうむ)っているのだ。これがどうして国会での重要議題とならないのか。なぜ、せめて将来数年にわたろうと花粉症淘汰(とうた)の計画が机上にすら存在しないのか。これがせいぜい数人の生死に関わるだけの、サーズなど新しい疫病となると国を挙げての大騒ぎとなるのに、自殺者まで出ている花粉症対策が国事たりえず、選挙の争点の一つともならないのは、国事担当者の政治家、官僚の鈍化と怠慢のせいというよりない。

 私は来る関東知事会と首都圏の八都県市の首長会議で、組織としてまとまって何をし、国に何を求めるかを患者代表として提案するつもりでいるが、しかしやはり決め手は小泉総理に患者の一人になってもらうことかも知れない。

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