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「日本人の感性」 |
羽田に新しいターミナルビルが出来上がり、名古屋にも新しい国際空港が誕生した。しかし中に並んだきらびやかな商店街を眺めて、改めて怪訝に思うのは国際的なブランド製品を扱う店は多くとも、日本製のすでに国際的名声を獲ち得ているブランドの店が見当たらない。
既存の成田や関西空港もそうだが、なんでそこに国際的に高い評価を得ている、例えば三宅一生とか、川久保玲のコム・デ・ギャルソン、ヨウジヤマモトといったブランドが並べられることがないのだろうか。外国に出回っているそうしたブランドに外国人が大騒ぎしているというのに、それらの発信国の日本の国際空港のような国際的展示場でなぜ日本オリジナルのデザインにアッピールの機会が与えられないのか理解に苦しむ。
ノルウェイのような国では、家具などの自国デザインの商品には数十%の減税がもうけられているのに、この国での国産の、それも国際的に高い評価を受けているデザインへの配慮が公には全くない。服飾に限らずすべての領域でのデザインというのは、その国家民族の感性の表示であって、それそのものがそれぞれの国家の文化水準の指標ともいえる。
優れた芸術家には、見知らぬ国の芸術作品に見られる未知の感性の表示は新しい刺激として受け入れられ、さらに新しい造形に繋がり世界に伝播していく。かつてフランスの印象派の画家たちに、日本の浮世絵の西欧的遠近法を超えた風景画が大きな衝撃を与えたように、感覚には国境がないのだ。
かくいう私にも同じ体験があって、昔フランスがプロデュースしての五ケ国合作のオムニバス映画「二十歳の恋」が制作された時、日本版の監督をした私が総元締めのトリュフォーに会った折、彼が昔見た日本の現代映画作品に影響を受けいわゆるヌーベル・ヴァーグのタッチを思いついたと告白し、よく聞いたらそれは私の原作脚本、中平康監督の、弟裕次郎と津川雅彦のデビュー作「狂った果実」だった。自惚れでなく、かねがねあの作品はあの時代を代表する傑作の一つと思っていたが、それを後のヌーベル・ヴァーグの巨匠トリュフォーが保証してくれたというのは欣快だった。
もの真似から始めて西欧に追いつき追い越すことだけを悲願にやってきたこの国には、未だに感覚に対する評価というものが社会的に定着していない。日本の近代教育にも感性の養成などは全く組みこまれていない。故にもデザインという感性が収斂された所産についての評価がいかにも薄い。といって日本のデザインが相対的に劣っているなどということは決してない。早い話、航空機のデザイン一つを見ても、戦争前に世界記録を作った理研の実験機にせよ、第二次世界大戦の緒戦で無敵を誇った零戦にせよ、収斂されつくしたデザインの効果なくしてあの性能はあり得なかったろう。
行政は優れた感覚を直接養成することなど出来はしないが、デザインというものの文明的効用を理解すれば、その養成の手助けは出来るはずである。要はその認識を為政者がいかに持つかということだ。
それにしても日本の行政者の、デザインという文化の象徴への無理解と鈍感さには腹がたつ。例えば分野はいささか違うが、日本の天才が生んだトロンなどという技術体系の、アメリカという世界最大の消費地への進出を阻んだのは日本の通産省であり担当の大臣だった。幸いこの技術はトヨタのエンジン管理への意欲の元に復活し、携帯電話の普及とあいまって普遍発展したが、これを見殺しにしたのが他ならぬ日本の行政機関だったというのは、多分他の国では有り得ぬことに違いない。
デザインもまた新しい発想の所産に他ならない。
ともかく日本人というのは、己の感性に自信がない訳でもないが、その感性の依った所産について外国人に積極的に説明したり売りこんだりすることがなぜか少ない。早い話、今では健康食として世界に普遍した寿司にしても、その発見者はアメリカ人で日本人が宣伝しアメリカに上陸した訳では決してない。
フランスのプロバンス地方の魅力について紹介し、日本でも評判になったイギリス人のピーター・メイルが後年日本に来て日本料理の味わいの深さに感動し、なかんずく松茸の土瓶蒸しを絶賛して、日本に来るのが遅すぎたと後悔したなどという挿話は、相手が牛の舌しかもたぬといわれるイギリス人だけにむべなるかなとも思うが、土瓶蒸しを好まぬ日本人は珍しかろうが、さりとて外国人にそれを積極的に薦めた日本人というのも聞いたことがない。
フランスの名シェフのアラン・シャペルは日本に来て日本独特の料理牡蠣フライを食べて絶賛し、彼のレストランにはメニュウとして登録されている。料理もまた日本人の研ぎ澄まされた感性によるデザインといえるのに、それを積極的に外国人に薦める日本人は少ない。アンドレ・マルロオはかつて、日本人だけが瞬間の内に永遠を凝結されることが出来る唯一の民族だといっていたが、他人からいわれなくとも、我々はもう少し自らの感性の水準に自信を持つべきに違いない。
ということで、今年から解体再編成して発足する「首都大学東京」では、産学共同作業の一つとして、かつてドイツに誕生し一世を風靡した「バウハウス」のようなデザインに関する複合的な組織を誕生させ、すでに発足して新しい才能を発掘している、日本よりもむしろ外国で評判になりつつあるコンテンポラリィ・アートの新しい牙城「ワンダー・サイト」などと連携しながら、幅の広い新しいデザインの開拓に努めるつもりでいるが、関心と共感あるさまざまな分野からの協力に期待している。

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