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石原慎太郎エッセイ「日本よ」

2004年11月1日発売の産経新聞より転載 
産経新聞社HP http://www.sankei.co.jp/
「水俣病判決」

 さる十月十五日に行われた、関西在住原告団の水俣病被害訴訟への勝訴判決を大きな感慨を抱きながら聞いた。司法は事件確認後四十八年にしてようやく、正当な文明批判としてあの悲惨な出来事に関する国と県の責任を認めたのだった。
 実はそのはるか以前、環境庁長官時代に私は、水俣病に関わる国の責任を初めて閣議で唱えたが完全に封殺無視された。ちなみに閣議をリードする官房長官は厚生大臣の経験もある園田直氏だった。

 日本の高度成長は繊維産業という手近な手立てでの追い上げから始まったが、良質の繊維製成のためには媒体とするアセトアルデヒドという物質の大量生産が不可欠であり、「チッソ」水俣工場は当時その生産の決定的シェアを保有していた。そしてその工場から排出された多量の有機水銀が前代未聞の悲劇を招来したのだ。

 人間の歴史における必然悪ともいえる戦争がもたらす惨禍を、敢えて肯定出来る者など、異常な感性に依るとしかいえまいが、それが経済の発展と生活の向上という結果に繋がるならば、そのための努力や集中を誰も無下に否定できるものでもあるまい。それはある時代、ある状況下においては往々至上の価値ともなり得る。そしてそれを阻害しかねぬ事態の到来を、それがある限られた犠牲の上に在るものとしても、往々誰もが忌避してかかろうし、時には無視もしかねない。

 科学の発展は文明の進展を促進するが、同時に未知の危険を容易に招来もする。水俣病の原因となった多量の有機水銀の、あの美しく豊饒な海に棲息する生物を媒体とした循環が何をもたらすかは今になれば自明のこととも思われるが、当時にあっては未曾有の事態であり、それ故に原因に関しても揣摩(しま)憶測がさまざまに乱れ飛んだ。

 政府も事態を無視は出来ずに通産省を督励して専門家たちによる原因究明の調査委員会を始動させた。しかしその原因調査の根底には、伸び盛りの繊維産業にとって不可欠なアセトアルデヒドの決定的供給源である企業を守るという暗黙の意思が在ったことは否めない。当初、水俣病と呼ばれるに至った空恐ろしい現象は、水俣という地域の偏った食事に由来するある種の栄養障害に依るものとしきりにいわれていた。そしてその調査委員会も恐らくそれを立証すべく運営されていったようだ。

 しかし調べれば調べるほど当初の目論見は外れて、有機水銀の汚染障害の信憑性が顕在化してきた。その段階で繊維産業の停滞を恐れた通産省からの圧力がかかり、それを不満とする委員の辞任が相次いで委員会は分裂解散し、それまでの調査討論をまとめていた報告書は姿を消してしまった。それについてかつてNHKが『失われた報告書』という特集番組を作ったこともある。

 これは到底許されることではないが、高度成長、国家繁栄という美名の下に、行政の力ずくで実際に行われたと思われる。初めて現地を視察した当時の園田厚生大臣が当時の「チッソ」の江頭豊社長にことの隠蔽(いんぺい)のためのどのような条件を提示したかを、社長の甥にあたる亡き江藤淳から引退後の佐藤総理の家で詳しく聞いたものだ。

 この水俣の悲劇の陰にすでにさまざま隠されたものがあることは予感していたので、嫌がる役所を督励して視察に赴く前に実は私は知己の週刊誌の腕利きのライター二人を雇い先乗りさせ情報の収集をしておいた。その時すでに、今回の原告たちよりもすでに早い段階で、同じ大阪地域のハモ問屋の主人が水俣から仕入れているハモをその度味見していた習慣のままに、汚染されている魚を頻繁に口にしたため現地の人々と同じ病にかかって体の自由を失っている事例を知らされたし、水俣市の向かいにある島々でも痛ましい病が発生しているが、漁業で生活している島では水俣病を口にするのはタブーとなっており、島の住民の検診をする医者は島の実力者からあらかじめ、「医者どん、この島には水俣病の者はおらんとよ、わかろうな」といい渡されていると聞かされていた。そしてその医者とも夜秘かに会って話を聞いた。

 それが側聞されてかどうか、現地の知事から環境庁に大臣に余計な視察をさせるなという抗議もあったそうな。驚くことに事件が発生してから、知事は一度も現地を視察してはいなかったとも。

 帰京して通産省から出向している参事官の人事にかまけて、在るはずの隠された報告書を提出しないのならこの人事は認めないと通告したが、三カ月間人事を遅らせて待ったが、徹底して探してはみたがどうにも見つからぬということだった。後になってある人から、「それは甘い。役人は一旦作って手にした資料は絶対に焼いたり捨てたりはしないものだ」といわれて反省させられた。彼のいう通り学者の良心が見極めた水俣病の真因を記した件の報告書はきっと未だにどこかに隠されたままでいるに違いない。

 しかし今回の最高裁の判決は恐らくそうした決定的な証拠は手にせずとも、この文明の現況においての文明工学的見地から、あの悲劇の、少なくとも悲劇のいたずらな拡大の責任者は行政であったことを正当な文明批判として裁断したといえる。

 あの判決を聞きながら私はまた改めてあの離島の医者が声を潜めてつぶやいた言葉を思い出していた。

 「恐ろしかことですなあ、文明ちゅうものは。これはなんかの、罰ちゅうもんでっしょうか」と。

 しかし水俣の悲劇は、今後も形を変え恐らく世界の随所で反復され続けるに違いない。

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