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「国立公園なる国家の感性」 |
大方の先進国には国立公園なるものがあるが、それがその国、その国民にとって本質どのような意味合いを持つか、それ故にそれぞれの国立公園の実情がいかに在るかということによって、それぞれの国家国民の自然に対する価値観の高低、濃淡が推し量られようというものだ。
私はかつて閣僚として環境行政を担当したことがあるが、当時は水俣病とか四日市喘息(ぜんそく)とか固定発生源による環境破壊への対処が焦眉の時代で、所管している国立公園の実態にまで強い関心はおよび得なかった。それでも在任中に小笠原諸島が新規に国立公園として指定され、環境庁所蔵の有名画家の手に成る国立公園の風景画コレクションに、あの宝石にも似た南島の風景が加えられた。
しかし当時からすでに国立公園周辺の住民から多くの苦情が持ちこまれていた。曰くに、一旦国立公園に指定されてしまうと、その地域の土地の利用は著しく制限されてしまい、生活のための通行が不便となり指定地域に繁茂している食用の植物や果実の採集は禁止され、むしろ植生の毀損にも繋がってろくな結果になっていないと。国立公園と称するからには国による何らかの規制も援助もあってしかるべきだが、その規制なるものも、公園の自然の美観の保持のために徹底して行われているなどということは一向にない。
例えば貴重な自然財産として指定されている地域の海で熱心に行われている趣味としての釣りで、常時行われているコマセという撒き餌の悪習は違反のはずだが全く取締の対象となっておらず磯は刻一刻汚染されていく。
社会の成熟とともに近年年配者の観光客が急増しているが、国立公園を含めて有力な観光地に、それに見合う行政による条件の整備はほとんど見られずお寒い限りでしかない。日本の国土はあちこち素晴らしい美景に溢れているが、その一方国土が狭小なためにいかなる場所にも生活の営みが在る。その中での国立公園の指定維持には他国では見られぬさまざまな配慮が必要とされようが、日本人の美的感覚にのっとってそれが行われているという事例を見たことがない。
議員時代には私の選挙区の一部でもあった小笠原の南島の、無類の特性と美しさは筆舌に尽くしがたいものだった。何かで眠らされたままあそこに運びこまれて取り残され、一人で目を覚まし辺りを見回せばどこか地球以外の惑星にでも連れてこられたかと疑うだろうほどのものだったが、三年前久しぶりに訪れその荒廃に息をのんだ。
裸足では歩けぬほど鋭利な刃物に似た形の、他にはクレタ島にしか見られぬともいう特異な石が敷き詰められた斜面は観光客の靴に踏みにじられ石の形は失われ、石の合間に咲くハッカに似た高い香りの可憐(かれん)な青い花たちは、来島者たちが知らずに持ちこんで落とした、本来島にはなかった本土の雑草の種が芽生えて覆い無残な荒れ地と化し、かつて死滅し今は化石になりつつある古代の巻き貝の殻も禁忌を破って持ち出され半減してしまった。
唖然(あぜん)とした私は早速村と合議し、植生の復活のために南島の一年の閉鎖と後の観光客の数を制限する条例を即製して島の保全に乗り出したが、よろず動きの鈍い国は条例締結の日に管轄の役人を送りこんできて、沽券をかまえて立ち会ってみせたものだ。
さらに加えて今回、小笠原の自然と奥多摩の森林保全のために都は新規にレンジャー制度をもうけ、公募した六人のレンジャーによるパトロール体制を発足させるが、国は何やらそれを真似て二人ほどの役人を島に張りつけるのだそうな。それもあの小さな島を南北に二分し、上陸不可能に近い北側半分は国が責任を持ち、荒れた南の半分は都の責任にするとかで、国の役人の沽券か何かは知らぬが、上っ面だけ勿体つけてかかる国のやり口は情けないというより噴飯としかいいようない。それなら最初からすべて国の責任でやったらいいことではないか。要するにこの滑稽なやり口が国の、わざわざ国立と指定した貴重な自然という国家財産への基本的認識を露呈させているということだ。
ちなみに日本の象徴、体の部分でいえば顔の真ん中、眉間(みけん)にも当たる国立公園富士山のスバルラインを登り切り森林が尽きる辺りの五合目に、そこからの展望にも周辺の景観にも全く不似合いな俗悪な土産物屋と食堂がある。内の一つはその地方の議員の経営だそうで、それだけがいつの間にか増設を重ね辺りの雰囲気をぶち壊しにしていた。ある時、国の国立公園行政の批判の事例として私が指摘し、それがきっかけで不法部分の取り壊しとなったそうだが、そうした措置は国の管理体制さえしっかりしていたらもっとすみやかに行われているはずだ。
私は先週、今後に備えアメリカのレッド・ウッドとグランド・キャニオンの国立公園保護のレンジャー養成学校とその行動実態を視察してきたが、国立公園保護の関係要員の数は全国で二万人、実際にパトロールし消防、違反の摘発、観光客の安全指導に当たるレンジャーの数は千五百人と聞かされ、驚きかつ共感させられた。
ということで都は来年から発足する新しい大学の中に短期大制のレンジャーの養成部門をもうけ、そこで育ったレンジャーの下に有志のボランティアを配したチーム運営を行い、請われれば全国各地に派遣するつもりでもいる。
国はくだらぬ沽券にかまけずに、そこから育っていく、この国の自然に誇りと愛着を持つ人材に、かけがえのない国立公園の保全を任せたらいい。

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