宣戦布告NETで発信石原慎太郎 宣戦布告NETで発信石原慎太郎 宣戦布告NETで発信石原慎太郎
コンテンツ
石原都知事の政策
エッセイ『日本よ』
雑誌連載・テレビ出演など
小論文コンテスト
日本の正式国名
ネット時事川柳
フォトギャラリー
石原都知事定例会見語録集
石原慎太郎ってどんな人?
石原慎太郎ってどんな人?
どうやって世に出たの?
どうして国会議員になったの?
どうして都知事になったの?
もっと知りたい慎太郎!!
金融経済論
国際関係論
教育論
国家論
人生論
石原書店
石原文学書目一覧
石原文学作品売上ベスト10
実は画家でもある慎太郎
海と慎太郎
インフォメーション
本サイトの説明
サイトマップ
石原慎太郎エッセイ「日本よ」

2004年6月7日発売の産経新聞より転載 
産経新聞社HP http://www.sankei.co.jp/
「噴火口の下で」

  先日三年ぶりに三宅島へ視察に赴いた。それまでに二度ヘリコプターで上空から視察はしていたが、地上に降り立ってみると改めてさまざまな変化が確認された。その一つは想像以上の自然の荒廃、そしてもう一つは破壊されたインフラの人間の手によ る復興と災害予防のための新しい施設の完成のコントラストだ。

 東京都はすでに四百三十億の金をかけそれらの仕事をなし終えてはきたが、その一 方、四年に及ぶ有毒ガスの蔓延と、ガスを含んだ酸性雨によって島の半分の立ち木は 枯渇しきっていて、腕くらいの太さの木も私の力でも簡単に折れてしまう。

 山頂に近い外輪山裾の立ち木はすべて死に絶えて、荒涼たる風景は、皮肉にも日本 に希有なる観光資源にもなりかねない。視察の前に偶然テレビで、足尾銅山の鉱毒で ほとんど死滅した山肌の半世紀かけての蘇生への試みの記録を目にしたが、都はすで にその専門家たちを招聘して三宅の自然の復興の相談をしているけれど、その試みは 足尾の山に比べてなお困難に思われる。それは何よりも、足尾は人災、三宅島は自然 の災害の違いといえそうだ。

 三宅の島は、我々人類がある種の文明を築いて生息している地球という惑星の、天 体としての熟成過程を表象している。つまり地上のわずか下側には未だに何千度とい う巨大なマグマが息づき、折を見、隙を見て噴出してくる。三宅島の火山の頂上を真 下に見下ろす空中写真を見ると、この島が島というより巨きな海底火山がそのまま隆 起し地上に現出した、火山そのものの先端であることがよくわかる。

 日本の国土はアラスカから南進し日本で分岐しフィリピンとマリアナに至る世界最 大の火山脈の上にあり、世界にある八百の活火山のうち、その八十五がこの日本にあ る。だから、ボーリングの技術が進み価格が安くなった当節、首都東京中、いや日本 中のどこを掘っても簡単に温泉が湧いて出る。万葉集には火を吐く山として歌われて いた富士山は、つい三百年前の宝永年間にはまた大爆発し宝永山をつくった、昨今も 鳴動している活火山に他ならない。

 ちなみに日本の東、ミッドウェーから約千マイル真西の海底には神武という海底火 山があり、それに発して綏靖、安寧…と歴代の天皇の名前を付してアリューシャンま で北上する海底の大火山脈もある。

 こうした地勢的な条件の国土に我々は住み着いてきたのであって、その自然が育み もたらした情念、感性の内に独自の文明を造り文化を育んできた。それは、ある日突 然、庭先に現出した小さな火山を昭和新山と名付け子供のように愛している、私から 見れば信じられない寛容さ安易さで、とんでもない爆発物と共生しようとする地主た ちの情念ともなる。

 四年前の爆発の寸前に取材で三宅島に出かけた私に、島の知己の古老が、「もうそ ろそろ山は爆発するな。今度はどっちに流れるかなぁ」と、さほどの緊張もなくいっ ていたのを今回の災害の後、改めて思い出したものだが、彼の人生のタイムスパンの 中での、二十年弱の周期で過去確実に四度五度起こってきた火山爆発と、やがては消 滅する地球という星の寿命との関わりを一体どう捉えたらいいのかとふと思う。

 「住めば都」と嘯(うそぶ)いて人間はその時代時代の文明の手を借りながらいた る所に果敢に住み着いてきたが、今行政を預かる立場で日本典型の災害への後始末に 臨んでみると、人間はもともと何か大きな勘違いをしてきたのではないかとふと思わ される。

 かつて同じ伊豆の大島が大爆発し最大の集落のすぐ背中の斜面でマグマが噴き出し た折、その一日前に、南の波浮の港の沖合で漁をしていた漁師が、頭の上を島に多い 野鳥の目白が大きな真っ黒な群れをなして隣の利島目指して飛んでいったのを目にし たという挿話を、時折私は思い出す。

 人間が捉えて趣味で飼う野鳥が、人間が備えぬ、あるいはもはや失ってしまった、 人間の文明なるものを超えた能力で感じ取るものは一体何なのだろうか。我々はもは やそれを自らの生存、いや存在のために必要としないのだろうか。

 宇宙学者のホーキングは以前日本での講演の中で、地球のように過剰に進んだ文明 を備えた惑星はその結果極めて不安定となり、宇宙全体の時間からすれば一瞬に近い 寿命を終えて消滅するといっていたが、三宅の島で五合目の砂漠に立って立ち枯れた 荒涼たる風景を眺めながら私は自分でもよくは分からぬ、何かはるかに巨きなものの 足音に耳を立てようとしていたものだった。人知をいかにこらしても防ぎきれぬもの 、贖(あがな)いきれぬものがあるのだということを、大方の人間たちは忘れかけて いるのではあるまいか。文明をかざした人間の自惚(うぬぼ)れとでもいおうか。

  大災害の復興も金を積めばできもしよう。信仰での狂信は生命価値までを倒錯させ 巨大な敵を倒せもしよう。ある種の観念は大切な現実を糊塗し、大きく歪めもしよう 。動物の中で唯一この宇宙における「存在」という主題について考えることの出来る 人間の自負が、この先結局自分の首を絞めることにならなければいいのだが。

menu

石原慎太郎公式ウェブサイト
Copyright (C) 2003 sensenfukoku.net. All Rights Reserved.