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石原慎太郎エッセイ「日本よ」

2004年5月3日発売の産経新聞より転載 
産経新聞社HP http://www.sankei.co.jp/
「ある、とんでもない提案」

 文明が進み人間や情報の行き来がより簡単になって、今日、世界では予期せぬ出来事、予期できぬ出来事が頻発しているが、しかしその根底に理由無き理由などありはしない。そのすべてに人間たちの歴史がさまざまに介在している。そして世界はいまだかつてない危機に繋がる不安定に晒されている。

 識者にいわせれば今日の世界の不安定要因の七〇%はパレスチナ問題にあるともいう。確かに戦後からこのかた、かの地ではすでに四度の戦争が行われ、さらに今なお血で血を洗うテロと弾圧がくり返されている。ユダヤ教、イスラム教という絶対神を仰いだ一神教同士の憎しみの激しさと戦いの凄まじさは、日本人のように鷹揚(おうよう)な汎神論的価値観の保有者には理解に遠い観があるが、しかし現実には悲劇に継ぐ悲劇が進行してい、それが増幅しさらに他の地においても新しい危険を醸し出している。

 パレスチナ問題はもともと、イギリスの第一次、第二次戦争後の外交野心にきざした無責任な二枚舌、いや三枚舌外交のもたらしたものだが、戦後世界でのユダヤ人の復権台頭に伴って、彼等がその致命的中枢を支配する、今日世界唯一の超大国になりおおせたアメリカの動向をも規定している。それは世界のアメリカ化への兆候への反発とあいまって世界中で、ハンチントンが懸念した文明の衝突の態様を示すにいたってしまった。

 パレスチナを巡るパレスチナ、ユダヤ両民族の過去の歴史を眺めれば、気の遠くなるような長い長い経緯を背景にしてもなお、周囲の大国に一方的に振り回されつづけた両民族は気の毒というよりない。そして彼等が共にそれぞれの強い信仰を踏まえた民族と文化の沽券(こけん)にこだわりつづける限り解決の道は遠く、その火種はとどまることなく世界中に蔓延(まんえん)しつづけるだろう。

 私はかつて、当時ごく親しかったエジプトの大使にパレスチナの人々に安住の地を与えるべく、一度はイスラエルに占領された、あのほとんど瓦礫(がれき)の連なりのシナイ半島の一部をパレスチナ人に提供したらどうだといったことがある。答えは、とんでもない、あなたは日本の政治家として日本の領土の一部をそうする決心が出来ますかということだった。

 そこでの、敢えてとんでもない提案だが、第二次世界大戦のどさくさにソヴィエトにかすめ取られたきりこの半世紀余未だに還ってこない北方領土の国後なり択捉の一島を、世界の安定のために割譲しパレスチナ人に入植させ新しい国家の建設をさせるというのは、はたして能天気な話だろうか。そのためにはロシアもまた同意する必要がある。北方四島だけではなくシベリアのような広大な国土をもてあましたままでいるロシアにとって、その領有にいかなる正当性も有り得ぬ島の一つを、持て余したきりで国家の沽券のためいたずらに抱えつづけることなく、世界の安定のために返還ではなしに、彼等にしても割譲ということになるのかも知れないが、新しいパレスチナ建設のために提供する決心をしたら世界の歴史は大きく変わっていくに違いない。

 国後や択捉はそれぞれ面積からいっても、沖縄本島を上回る十分な大きさを持ち、気温はパレスチナの地に比べれば寒くはあっても、豊かな緑や水に恵まれた豊穣(ほうじょう)の地である。ちなみに沖縄本島の総面積は一二〇〇平方キロメートル。国後は一五〇〇平方キロメートル。択捉は三二〇〇平方キロメートル。パレスチナ自治区の面積は六〇〇〇平方キロメートル。入植地ガザは三六〇平方キロメートルでしかない。

 アラブの諸民族の中でも極めて優秀とされるパレスチナ人ならば、短期間にして充実した新国家の建設は可能に違いない。日本もまた至近な友国として多角的な協力が可能だし、そうした協力は水爆を保有し日本向けのミサイルを配備し、尖閣諸島を侵犯してはばからぬ中国へのODAの提供なんぞよりもはるかに世界中の納得を得られるに違いない。

 そうした至近な隣国との交流は新しい混血混交をもたらしさらに、文明の衝突の代わりに、新しい文明文化の造成にも繋がっていくに違いない。これはこの現代にして初めて可能な、人類として未曾有の実験ともいえるだろう。戦後このかたパレスチナの独立のために辛苦してきたアラファト議長も、かつて囚われのユダヤ人たちを率いてエジプトを出た「出エジプト記」のモーゼのように決心して、国家民族のための新しい実験に乗り出したらどうかと想うのだが。過去にも民族の大移動が歴史を変えた事例もある。

 と、こんな夢想?を提言としてものすれば、かつてソヴィエトから被った非道を忘れ得ぬ人々から(私もまたその一人だが)非難の声が返るかも知れないが、今日の日露関係の態様からすれば私たちの目の黒い内にあれらの島々が全て戻ってくるとはとても思えない。あの豊穣な土地を人間の財産として人間たちのために今最も有効に役立てる術は、あの島のどれかに新しいパレスチナを、世界の意志として作り上げることではないかと思うが、これははたして戯(たわ)けた夢想に過ぎないだろうか。それを実現することは、強い信仰を持つパレスチナの人々にとっても決して屈辱ではあり得ないと思うのだが。

 余り世の役にたっているとは思えぬ国連あたりで、こんな提案を持ち出してみたらと思うのだが。

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