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石原慎太郎エッセイ「日本よ」

2004年2月2日発売の産経新聞より転載 
産経新聞社HP http://www.sankei.co.jp/
「二枚の写真」

 私の執務室のある都庁の廊下に、細長く巨(おお)きな二枚の写真が飾られてある。片方はレトロの白黒、片方は色刷りのパノラマ写真だが写っているのは共にこの東京のほぼ全景である。

 白黒の方は今から百数十年前の慶応元年にイギリスの写真家、フェリックス・ベアトによって愛宕山の山頂から撮られたものだ。手前に長岡藩牧野家中屋敷の白い塀が続き、左彼方には築地の本願寺、右手には芝の増上寺が望まれその向こうには浜御殿、今の浜離宮の森が茂り、さらに江戸前の海が輝いて見える。

 寺の伽藍をのぞけばさしたる高層の建築は見当たらず、ほとんどの主たる建物は二階建てで、屋根はみな濃い灰色の瓦でふかれ、壁は白、瀟洒(しようしや)としたモノクロームの町並みが連なっているパノラマの光景は息をのむほどしっとりと美しい。当時江戸に滞在していた外国人たちは、大名屋敷の甍(いらか)に埋め尽くされたこの景観を「長い道路と、白壁と、灰色の大海」、と形容していたそうな。

 明治に入って新しい西欧風のホテル建築を依頼され来日した建築家フランク・ロイド・ライトは初めて目にする江戸の景観に感嘆し、その日記の中にこれほど瀟洒な街並みを見たことがないと記している。

 そしてその感動のままに彼は当初の、おそらくコンクリート建てによる発想を変えて、この街にこそ似合った素材を日本中で捜し、ようやくあの質感の柔らかな大谷石を見つけて名作の旧帝国ホテルを作ったのだった。

 ライトに限らず他の外国人の目にも、かつての日本の首都江戸は他国の首都と比べて優る素晴らしい大都市として映り、高い評価を得ていた。日本近海で難破し、江戸にたどりついたスペイン東洋艦隊の提督フェルナンド・ロドリゴは、帰国後政府に提出した報告書の中で江戸について「わがスペインの首都マドリッドにも優る木製の大都市である。その町並みの整然たる様はマドリッドも及ばない」、と最大級の賛辞を呈している。

 彼らの江戸への相対的な高い評価がいかに尤(もつと)もなものかを、慶応年間に撮影されたあの江戸の写真は証している。

 プリンストン大学の社会学教授スーザン・ハンレーは彼女の著書「江戸の遺産」の中で、中世近世は世界的には長く暗い時代で、人間として満足するに足る生活が出来たのは貴族等限られた特権階級だけで、他の市民は抑圧を強いられ続けたが、江戸の市民は例外だった。自分がもし中世に生きたとしたなら、江戸の市民として生まれ暮らしたかったと述べてもいる。

 それに比べてこの現代、都庁の屋上のヘリポートから撮った三百六十度のパノラマ写真の醜さは逆に息をのむものがある。それは一言でいって巨大な反吐(へど)としかいいようない。緑を抹消し代わりにコンクリートででっち上げ、原色のネオンや看板の氾濫した東京の醜悪さは、これを、かつて世界最大の人口を備えながら、あの雅(みやび)な江戸を作った同じ民族の後裔(こうえい)がなし終えたものとは想像し難い。

 先月スイスでの会議の後、所用で久しぶりにパリに寄ったが、パリの街のたたずまいはやはり美しい、というより落ち着いていかにも懐かしい。それはかつての東京に似たモノクロームな印象の魅力ともいえる。ドゴール政権で文化相を務めたアンドレ・マルローは、パリの煤(すす)けた建物の洗いなおしを命じ、加えて街を彩るネオンサインの色を限ったものに規制してしまった。それがパリの印象をしっとりと懐かしいものに保つに役立っている。結果としてマルローのやったことは感覚的な都市計画ともいえるに違いない。比べて、東京に限らず日本の主要な都市のほとんどは明治以後、近代化という名の下の真似ごとの積み重ねの上に、戦災を被った都市にしてなお戦後の無計画のまま、無性格な態様、不気味な混乱を呈したままにいる。せめて色彩の統一くらい計ったらと思うが、それも「表現の自由」とかを盾にされ、かないようもない。

 東京は新宿の歌舞伎町のように下種な原色ばかりをぶちまけた地域は悪しき特例としても、思いがけない所で理不尽なほど不似合いな装飾が町並みの印象をぶち壊しにしていてはばからない。東京郊外の大学都市国立市は並木の大通りに建設されたマンションを、その高さが町の環境を破壊すると一部住民が訴訟し大騒ぎとなったが、その後同じ通りに開店された大型の中国料理のチェーン店の無神経極彩色な壁に誰かがクレイムをつけたという話は聞かないし、官邸下の赤坂見付から新橋にいたる代表的なオフィス街に、これまた悪趣味グロテスクな彩色を施したラーメン屋が店開きしてもこれを嘆いたり怒ったりする者の声を聞かない。

 日本の三大古都の一つである鎌倉が乱開発で変わり果てた湘南の地でなんとか古都らしいしっとりした味わいを保っているのは、かつて、早稲田の名誉教授だった建築家の武基雄氏を建築物に関するアドバイザーに据え、新規の建物に関して感覚的な規制を行ってきたおかげに違いない。私は環境庁に在職の折、せめて新幹線の沿線に見える野立の看板は、時限立法で淘汰させたらと提案したことがあるが通産省の猛反対でつぶされてしまった。

 日本もそろそろ、せめて感覚的な視点での国土計画、都市計画を志したらどうかとしみじみ思うのだが。

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