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石原慎太郎エッセイ「日本よ」

2002年8月5日発売の産経新聞より転載 
産経新聞社HP http://www.sankei.co.jp/
「若い世代からの大きな動きを」

 最近家人からいわれて気づいたことだが、悪い癖が私に戻ってきた。一つは貧乏ゆすり。もう一つは相手と話している時に知らずにしている腕組みだ。話している相手に向かって知らずに腕組みしているのは、いかにも拒絶的で印象としても良くない。貧乏ゆすりはその名の通りいわずもがなである。思うに、どうもこの癖の再発は最近私自身がかなりいらいらしているせいに違いない。

 さらに思うに、これらの癖は私が議員を辞職する前のある期間頻発していたような気がするが、最近自分がいらいらしているわけは実によくわかる。東京の政治案件はそれぞれ国との関わりが深いが、国が絡んだ問題で国の反応、対応はどれもこれもいかにも遅過ぎる。東京と国との時計の秒針の歩みの速度は、国の方が半分以下のような気がする。他の地方自治体も同じ実感に晒されているに違いない。

 この厄介な時代に最高権力、というより最大の責任のある国家の官僚と、実は彼等が逆に牛耳っている国の政治家たちの基本的な姿勢は、奇妙なことに多くの政治家までが真似して慣用している役人言葉、「それはいかがなものか」「何々には馴染みません」とか「鋭意何々しているところであります」といった、いい換えれば、要するに「それは駄目です」、あるいは「実は何もしていません」、といった保身のために 全て先送りしてその場をしのぐ姿勢に表象されている。

 役人の「それは現実性がございません」という政治家への返答の意味は、いくら信憑性はあっても着手するのが面倒だ、という同義語でしかない、というのは堺屋太一氏の名解説だが、中央集権にあぐらをかいてきた末に、自らの貧しい発想では手に負えなくなった日本の現実に尻込みする官僚と、逆にそれに操られているままの国の政治家たちの萎縮と停滞は、このままでいくと恐ろしい結末も招きかねない。

 なのに、肝心の政治家達の言動は、今度の国会の安易な汚職追及のトリビュアリズムに終始した体たらくを眺めても、日本の国会なるものの機能の限界を感じさせる。議員達が悲鳴をあげている選挙区の改正による五増五減などという問題が国民にとっては全くなんの実感も伴わぬ、まさに位相の異なるものでしかないという感慨をなんとか彼等に伝えたいものだ。

 この開かれた情報時代に、現存する衆参二つの議会が今なお絶対に必要であり、民間にはとても在り得ぬ官僚たちの決めたあの重複錯綜した無意味に近い手続きのルーティンが、民主主義の存続のために不可欠と思っている者は一人としていまいに。私達国民も、今回の、ある意味で典型的であった国会を顧みて、国会のあり方について、相対的な反省をすべき時にきているような気がする。議会は一つ、そしてもっと厳しい手法で選ばれるべき議員の数は今の半数以下でいい。

 昨今ポスト小泉に関してしきりに私の名前まで上がっているが、きわめて名誉であり迷惑でもある、というだけでまたいろいろ噂が姦しくもなろうが。ペレストロイカ当時のソビエト共産党と同質のていたらくの自民党を初め、もはや耐用年数が尽き存在理由を失った既存のそれぞれの政党にいる三十代四十代の若い議員たちがなんで決起し、現体制の全てを覆す挙に出ないのか不思議というより、あきれている。党派をまたいで彼等が連帯すれば悠に強力な新党も誕生しように。

 彼等には総じて、国家の存亡を踏まえての歴史観が基本的に欠如しているのだろうか。とすれば彼等にも国の政治家たる資格はあるまい。あるいは、悪しき選挙制度の改修や政治資金制度の改正の余波で、既存の政党に属さぬ限り政治資金の供給を断たれることへの恐怖のせいだとしたら、これたま政治家としての根本的資格の問題だろう。だとしたら彼等には、その年齢故にももはや発想の転換は不可能だろう、多くの先輩高齢議員を、高齢故に軽蔑し排斥するいわれもありはしまい。

 とにもかくにも過去のいかなる歴史を眺めても、国家社会の本質を変えるような動きが老齢の人間たちの手によって成されたことなどありはしない。形骸化した既存政党による政治の限界が露呈し、その無内容な政治運営によっていたずらに国家の利益が消耗され、国民の不安と不満が増幅されていく状況の中で、肉体も発想も若い世代が発奮しなくてほかの何が新しい歴史を造り出していくというのだろうか。

 日本の近代化の礎となった明治の時代には、当時としては奇想天外、規格外れの発想力を備え、その成就のために命がけでつっ走った人材が若い世代から輩出したではないか。

 それとも現代の若い世代の政治家達は、到来すべき歴史を予感し身震いするような感性をすっかり摩滅させてしまったのだろうか。思ってみれば私は最近、芥川賞の選考委員としても、身をのけぞらすような若く鋭い感性に触れることがほとんどないし、若い政治家達から危うくたじろぐほどの提言を聞かされたこともない。その代わりに、間もなく七十になろうというこの私への、若者達からの期待ではこちらが切なくなってしまう。

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