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石原慎太郎エッセイ「日本よ」

2004年1月5日発売の産経新聞より転載 
産経新聞社HP http://www.sankei.co.jp/
「言葉への妄執の愚かさ」

 アルカーイダなる不逞(ふてい)な輩が日本へのテロ攻撃を予告恫喝(どうかつ)して、その信憑(しんぴょう)性は定かならぬまま一応の用心に首都東京におけるテロ行為を想定し図上訓練を行ってみたが、ことに関連する既存の法律がどれもこれも全く時代遅れの役にたたぬものであることが痛感された。ラッシュ時、二方面の地下鉄内でテロリストが水に溶いた天然痘のウイルスを散布したという想定による訓練だが、天然痘は今現在世界では絶滅させられているが、その病原菌はアメリカとロシアに保存されていて、それが盗みだされたという想定だ。

 ちなみに天然痘が絶滅して以来世界のどこででも種痘は行われていない。子供の頃種痘を受けた世代はすでに免疫力は失っていても再種痘によるショックは少ないが、初めて種痘をする若い世代は十万人に一人は副作用で脳炎を起こし死亡のケースもあり得るそうな。となれば天然痘が蔓延(まんえん)しだしても種痘は、はるか以前に作られたいわゆる感染症法なるものの拘束で一人ひとり承諾書をとって行わなくてはならぬという。伝染病の急激な蔓延時にそんな手間暇のかかる措置をとっていられる訳はない。

 何日の何時、どの方面で生物兵器の散布が行われたという情報も、パニックの招来を防ぐためにみだりに公表されるべきではないという解釈となるが、そんなことをすれば逆にますます感染者を激増させることになる。天然痘は感染した後七日間から十七日間という潜伏期間を持つが、その間感染の可能性の濃い市民を禁足、隔離することも法律の上から出来はしない。さかのぼるところは憲法であって、憲法に唱われている基本的人権や自由、プライバシーに抵触するということだが、憲法に順応墨守するためにいたずらに犠牲者を増やしていい訳はあるまい。

 十万人に一人の脳炎の犠牲者も含めて後々どんなクレイムが来るかはわからぬが、より多数の市民の安全のためにテロによる被害下、憲法を無視して超法規的にことを行うのは、行政を担当する者の責任に他なるまい。

 同じことがイラク派兵を巡る国会の討論を見てもいえる。派兵に関する疑義のほとんどはその論拠を一種のアプリオリとしての憲法に置いている。土台半世紀も前に軍事国家としての日本の復活を封じるために他人の手で作られた憲法が、彼等の思惑も大きく違ってしまったこの時代に、国家の命運を左右しかねぬ問題の討論に未だに強い拘束力を持つというのは不思議というか滑稽(こっけい)な現象でしかない。かつて田中美知太郎氏は「憲法に平和を唱え挙げて平和がもたらされるというなら、台風は日本に来てはならないと憲法に記すことだけで台風が防げるか」と記していたが、憲法をいたずらに盾にしての国会議論ほど眺めていて現実感覚を欠いておめでたいものはない。

 しかしそれにしても、どうして国会議員なる種族はああも既存の法律に固執するのだろうか。それを修正するのも新たに作るのも彼等の仕事に他なるまいに。国政には内閣、衆議院、参議院とそれぞれ三つの法制局があり、政治家たちはことあるごとにこれにお伺いを立てる。それは端的に、彼等の想像力の枯渇の証しとしかいうよりない。既存の法律の規制よりも、現実の問題の有利有効な解決こそが政治にとってのリアリティーに他ならないのに、その方法の模索の過程でなぜに一々既存の法律の拘束に甘んじなくてはならないのか。

 昔司馬遼太郎氏が、「多くの日本人にとっては、目の前の現実よりもある種の観念の方がより現実的なのだ」と慨嘆していたが、国政に巣くう法匪(ほうひ)としかいいようない専門家たちやその御宣託を崇める政治家にとっては、一応国家の基本法とされている憲法の文言よりも絶対に近い、時代や立場を超えて垂直に連なる人間としての価値の原理、公理があるということは念頭にはあり得ぬようだ。

 例えば、仮にイラクに駐留する日本軍の横で同じイラクの復興に手を貸そうとしている他国の友軍が攻撃されている際、出撃してそれを救(たす)けぬような軍隊があったら、国家として民族としてどんな謗(そし)りを受け恥を晒(さら)すことになるかは想像に難くあるまい。その行為を法律の規制を超え是とし評価し支え得るものは、立場も時代も超える人間としての垂直な倫理であり情念に他なるまい。そして厳しい現実の中でそれを敢えて保証するのは政治家の責任に他ならない。

 伊藤整氏はかつてその文明論の中で、『追及されるべき人間にとっての目的のための本来は手段でしかないものが倒錯して、手段が目的化してしまう危うい現象が往々にしてある』と指摘していたが、はるか以前の人間たちが作った法律の文言に、それが「法律」であるというだけでその規制に甘んじる政治家は、しょせん人間として薄弱で無責任なるものとしかいいようない。

 今衆議院で、煮えきらぬ政府に代わっての北朝鮮への経済制裁のための議員立法の動きがあるが、法制局が躊躇(ちゅうちょ)を示しているいい分の一つは、文書としてある訳ではなし、金正日が口頭で拉致を認めたといってもそれですなわち彼等が非人道的行為を成したとはいい難い、ということだそうな。開いた口がふさがらない。

 また東京都が引き金を引いて多額の脱税も摘発されている、環境や健康を阻害している不正軽油の摘発の法制化を要求したところ、腰を上げようとしない法制局のいい分は、「前例が無い」ということだそうな。これまた法匪の本質を露呈したものでしかない。

 このままだと日本人は法律の文言の故に世界に大恥をかき、法律の言葉に殺されかねない。

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