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石原慎太郎エッセイ「日本よ」

2003年4月22日発売の産経新聞より転載 
産経新聞社HP http://www.sankei.co.jp/
「再選を終えて」

 今回の都知事選で改めてしみじみ思いだした、亡き司馬遼太郎氏の言葉が二つある。

 何度か講演旅行を一緒にした折々に聞いたものだが、一つは、「この国はかつて徳 川幕府が崩壊した後暫定的に誕生した太政官制度以来、本質的に全く変わっていない」 という慨嘆。もう一つは、「多くの日本人にとってある種の観念、理念は、実在の現実よりも、現実的なものだ」という、日本ならではの思考における、奇妙で危険な倒錯について。

 共産党は今回の都知事選の政策における対立軸は、折から進行中のイラク戦争への賛否だとし、もう一人の候補も私を、「軍国おじさん」と規定していた。(この問題 への私の所見はすでに前回のこの欄に述べてある)

 そうしたいたずらな論は本末転倒といおうかすり替えといおうか、多くの問題をかかえている首都の行政の舵取りとはほとんどかかわりがない。故にも必然今回の選挙戦の内容は低調で幼稚なものにならざるを得なかった。

 第一、共産党も社民党も民主党も、イラクという危険な存在に地下茎で繋がってい る、同じ独裁テロ国家北朝鮮が日本に対して犯してきたテロ行為、多くの同胞の拉致殺戮と、合わせての膨大な量の覚醒剤の密輸入頒布といった事実は、あくまで存在していないといいはってきたではないか。

 せっかくの都知事選で据えられるべき政策の対立軸は、司馬氏が言及していた、いまだに本質太政官制度と変わらぬ中央官僚の一方的統制によって運営されているこの国の政治形態を、地方自治体の代表ともいえる東京都が今後国とどうかかわり、対立もしながら、どう変えていくかということに違いない。

 個々の重要な問題の中でそれをいかに捉えるかという議論が熱くあったなら、小渕内閣時代に出来上がった、地方への税財源の分与は中長期の問題と棚上げしたままの 「地方分権一括法」なる、しかしあくまで歴史的必然蓋然の所産たる法律に、いかに魂をいれるかという論議も白熱化し、都民国民の関心も刺激され国も耳をそばだてざるを得なかったろうに。

 しかし選挙の実態は、その意味では不毛のものでしかなかった。それはひとえに、 対立候補を擁立した政党たちの歴史的無知と怠慢としかいいようない。なかんずく、 国政での野党第一党民主党の国会と都議会レベルでの乖離分裂は、この政党の限界を露呈させてしまったとしかいいようない。

 大都市の停滞は国家の停滞を如実に表象しているが、それは日本が依然として中央官僚統制国家である限りおおかた国の責任といわざるを得ない。もはや都民の生命に深刻なかかわりを呈してきた大気汚染や、今では都民の最大関心事となっている、不法入国不法在留外国人による、異形な犯罪の増加による治安の深刻な乱れなどは、他の先進国に比して大甘な自動車燃料への規制、入国管理の杜撰さ、あるいは刑務所、 拘置所の絶対的な不足などといった国家の怠慢な不作為に決定的に起因している。

 あるいは福祉の分野においても国は、介護保険の中で庇護される者に選択の幅を与える新制度といった歴史的必然の変化を受容しながら、さらになぜ、地方の特性に基づいた福祉政策のヴァリアント(多様性)を積極的に許容しようとしないのだろうか。

 働く若い母親の数のもっとも多い地方は東京であり、そうした女性の出産、育児の便宜のために彼女たちの通勤の道程にある駅の前にもうけた保育所を、国はいまだに国の規格から外れたものとして正式に認可せずにいる。

 国の規格に沿っての保育所は、大都市における用地の取得の困難さなどからしても設立のコストパーフォーマンスがとてもおぼつかなく、東京には適合しがたい。好評を博して増設の相次いでいる駅前の大都市型保育所は、まさしく東京の特性を生かし た試みだが、国はかたくなにこれを正式に認可しようとはしない。

 国の官僚が国家という規模で行政を考えるのは当たり前のことだが、その行政が国家全体におよぶ画一的な規範で発想されたのでは、地方は地方としての特性を無視され踏みつぶされるということになりかねない。それは地方分権の時代を無視した驕慢 な、まさに太政官制度的発想でしかない。

 あるいはまた、地方で行われる国の直轄事業、たとえば国道の補修等でも地方はそのおよそ三分の一の経費負担を強いられるが、東京を走る国道のどこをまず直すかという選択は一方的に国が決める仕組みで、地方自治体が国より精通している地元の交通事情にかんがみて場所を指定することが不可能というような事例も、もはや驕慢な不公正としかいいようない。

 こうした、「依らしむべし、知らしむべからず」という尊大な国家の姿勢こそが、 実はこの国そのものの能率を低下させ、国民に過大な負担を強い、ひいては国力を喪失させつづけているのだ。

 司馬氏が慨嘆していた、こうした百余年不変の中央集権国家としての体質が、普通の市民と本質的に異なる価値観と発想を抱いてはばからぬ官僚という特殊な種族、ちなみに彼らには普通の市民が身にしみて心得ている金利という観念が全くないし、時間の無駄というコスト感覚も欠落、手がけた事業の結果への保険、保証という発想も全くない。そして一生、失業保険をかける必要もない。

 国家の行政が質的に不変のままこうした人間たちに維持されていく限り、そしてそれを、逆に彼らに使役されている国の政治家たちがその抜本的な改修に本気にならぬ限り、地方によって合成されている国家の不幸はきりなく続くことになる。

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