男と女の違いの一つは、男は孤独に耐えられるが、女にはそれが出来ないということではないか
男同士の会話の中で聞く他人の過去の体験は、時として、どんな持ちもの以上にもうらやましく感じられることがある
持つべきものは良き友とか、男の友情は、この世で最も美しきもののひとつ、などというが、それなら実際にそんな友人を持つことの出来た男がざらにいるものだろうか
男が「男」であることの条件のひとつは
私はピアスを男がしているのを見ると嫌な気がする
人間が生きるということは他人とかかずり合うことの煩わしさでしかなく、さらに言い換えれば自我の磨耗でしかない
どれほどの人間が生命的、とまではいわぬにしてもその個性にのっとって生き生き暮らしているものなのか
はみだす人間、はみだす出来事があるからこそ逆に、大方の人間が安心してこもっていられる社会の枠が保たれているのじゃありませんか
男は、何であろうと別れた女を気にするが、女は殆ど気にしない
「女は早いけどねえ、男は、少なくとも半年はかかるからね、忘れるためには」
落水覚悟で命綱もつけてかからなければならぬ相手の方が、満足も納得もあるだろうに
人生における方向転換は、その時期が遅くなればなるほど至難になる
俺が、他の人間に触れ合い、繋がって生きていくためには、結局自分の仕事を通してしか方法はない。誰しもが同じことではないのか
自分を生んで育てた父母との関わり、あるいは兄弟姉妹、そしてまた自分が結婚してつくる家庭、子供、孫という連鎖の輪がどこまでも伸びていくという家族関係の存在や意義を否定することは、どんな理屈をもってしても不可能です
私は自分にとっての分身が初めて誕生した時、つまり私の長男が生まれた時のことを今でもよく覚えている
ともかく女の性が今日ほど商品化され、女性が自分を対価計算して、女の側の打算で結婚を考えるようになった時代は今までないような気がする
何だけは絶対に守るのか、何だけはとにかくはぐくみ育てていくのかという指針を持たぬのは男ではないし、それこそを男の親が語らなくてはならない
屈辱に耐えるということは、人間の強さを助長するのです。負けても、このままでは引き下がらないという意志を持てればいいのです
世にいろいろ味わい深いものもありますが、自分自身の老いていく人生ほど実は味わい深く、前後左右を眺めれば眺めるほど面白く、味わい深いものはないのです。
この日本で顕著なことは六十五歳以上の年配者こそが、可処分所得と可処分時間が一番多い、つまり時間も金も豊富に使える、贅沢が可能な、生き甲斐の多い世代ということです。
誰しも年はとりたくはない。誰しも老いたくはない。しかし誰しも必ず年をとり老いていくのだ。
若い頃私たちはよく、健康な肉体にこそ健全な精神が宿るといわれたものです。それは真理だと思う。
しかし肉体への強い意識を抱きながら、肉体の老いとの戦いに必ず敗れていく人間に与えられるものは、気力をも含めて真の成熟など有形無形計り知れぬほど多くのものがあるはずです。
人間にとって最後の「未知」である死について誰もよく知ってはいるが、しかしそれが未知であるが故にも、この自分が死ぬということを信じている人間など実は一人もいはしない。
たとえ百歳を越えている者でも人間は惚けていなければ、まともな意識を持ったまま死ぬ時には、間近な死を意識した瞬間、多分、「なんだ昨日生まれたと思っていたらもう死ぬのか」、と思うに違いない。
なんだ自分はもう死ぬのかという感慨は、いかに高齢であろうと当人の意識がしっかりしている限り、人間は誰しも夭折するというものかも知れない。
しかし死を意識するということの、「恐れ」以外の効用があるということに案外多くの人たちが気づいていない。
死は最後の未知、最後の将来であるが故に人間はそれを恐れるしそれを考え知りたいと願う。