どうも、この現代になればなるほど、家庭の中でも、社会の中でも、父親すなわち男というもののイメージは薄れていくような気がしてならない
父性の解釈はいろいろあろうが、教育における父性とは子供をしたたかな強い個を備えた人間に育てていくことだと思います
我が家の個性、性格を決めるものは父親である、おやじである。おやじでなくてはならぬと、わたくしは信ずる
たとえば父親がもつその哲学に、子どもたちが強く反発してもいい。そこには、その反発をスプリングボードにした子どもたちの人間的な飛躍がある
つまり日本の場合には親が子に百パーセントの可能性を信じてかかり、その夢がつぎつぎに破れていくことで、親子関係が百パーセントから減点されていく
親は、子どもの生命が危険にさらされたときには、人間のワクを踏み出し、獣にかえってでも、親の本能にまかせて子どもを守らなくてはならぬ
たとえ親が、子どもを十分食べさせることができなくても、なおその貧乏、不自由さのなかで、親は、他人が与えることができないしつけ、教育というものができるはずである
強く叱ることが慈悲なのだと自覚できぬ者に教育者を名乗る資格もありはしまい
家庭における父性というものの意味や価値が低下し歪められてきた理由の最もたるものは、家庭での母親と父親の対比が大きく変わってきたということだと思います
長幼の序といっても、青年と老人ということになれば、青年のよさ悪さを老人の体験が補い、二つの世代の融合によって、さらに大きな飛躍というものが説かれ得るはずです
博愛とか献身奉仕という人間にとって最高の美徳も、まず子供のころ自分にとっての競争者を敬い、友情を感じるという姿勢によってつちかわれるはずです
心の通う真の友人が、自分以外の自分であるとするなら、われわれはたとえその友人と2人きりでも、孤独でいる時の数百数千倍の充実を味わうことができる