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たとえ親が、子どもを十分食べさせることができなくても、なおその貧乏、不自由さのなかで、親は、他人が与えることができないしつけ、教育というものができるはずである
たとえ親が、子どもを十分食べさせることができなくても、なおその貧乏、不自由さのなかで、親は、他人が与えることができないしつけ、教育というものができるはずである。
親がいちばん身近な人間として、自分の血を分けた相手である子どもに期待を持ち、願望を託するならば、親は、能うるかぎりのものを、子どもに与えなくてはならぬ。それはまず第一に、子どもの個性を見きわめたうえでのしつけにほかなるまい。
子どもの教育には、いろいろな方法がある。そして、その方法のなかで、肉親しかできぬ方法とはなにか。それは子どもをなぐることだ。昨今では、学校の先生がどんな理由があろうと、子どもをなぐると必ず物議をかもし、先生のほうが萎縮して、あえてそれを行わない。あるいはまた、子どもの食を減らす、つまり食べさせないで懲罰にするということも、親でしかできない。また、子どもを閉じ込めること、あるいは子どもをおどすことも、親でしかできない。
親はそういう意味で、子どものしつけ、教育に関しての決定的な切り札を持っているもっとも重要な教師であるのに、その切札を放擲し、いったい、だれになにをまかそうというのか。
『スパルタ教育』(光文社)
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