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「石原慎太郎が十代に描いたファンタジー『永遠の塔』」展 について
2000年(平成12年)東京・青山にて「石原慎太郎が十代に描いたファンタジー『永遠の塔』」展という石原慎太郎の個展が開かれた。
十代、二十代の若者が詰め掛け、約20日間に渡って開催された石原の初の個展は活況を呈して幕を閉じた。
このコンテンツは、個展の開催にあたって出版された「石原慎太郎が十代に描いたファンタジー」という画集をもとに作成したWEB上の美術館である。
自らを「落ちこぼれの先駆け」だと公言して憚らない石原は、17歳の時に、一年間もの長期の間、学校を休学している。
石原の通っていた学校は湘南中学という神奈川県一の名門校であり、戦時中は海軍兵学校の予備校的な役割を果たしていた。教師は生徒に「海軍士官」を志すことが至上のものであると教え説いていたのである。
そして敗戦を迎え、GHQ(連合国軍総司令部)による占領政策により、民主主義教育が始まることになる。
学制改革により石原はそのまま新制「湘南高校」へ進学。
教師たちは手のひらを返したようにその意味もよくわからぬままに民主主義を説き、今度は東大に進み「国の役人」になることを強要し始めた。その際、校長は生徒を集めて得意気に「これが我が校の出世頭だ」と当時の大蔵省理財局長を紹介した。
しかし敗戦を経験した後も変わらなかったのは、受験勉強以外の何かに打ち込むことに対する学校側の冷めた姿勢であった。ドローイングを描きたがるような生徒の感性は無駄なものとしか捉えられず、美術の授業で「一番明るい色は黒だ」と本気で答えた石原は天邪鬼な生徒としてしか扱われなかったのである。
石原はそのような現実を目の当たりにして、「なんてくだらない学校なのだろう」と思い、次第に学校離れが進んでいき、ついには1年間もの長期休学をすることになる。
これらの作品群はその前後に描かれた「ティーンエイジャー石原慎太郎」のほとばしる感受性の果実である。


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